~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
怨 恨 の 刻 印 (2-01)
被害者に遺族がないので、ジョニー・ヘオワードの遺体はアメリカ大使館が引き取った。死体は荼毘だびに付され、身寄りの者が現れるまで、横浜の外人墓地の一隅にある外人無縁墓地に仮埋葬されることになった。
捜査は、まったく膠着こうちゃくしていた。棟居刑事の発見によって、ロイヤルホテルのスカイダイニングの外観が、麦わら帽子に似ていることがwかったが、それだけでは事件に何の進展ん裾もたらさない。
被害者にとって、麦わら帽子が何か重大な意味を持っているらしいのだが、その意味を解く事が出来ない。
「アベックが目撃したという、犯行時間帯に公園から出て行った女性は事件に関係ないのではないか」
という説が出て来た。その後の捜査によって、当然のことながら来日して間もない被害者の身辺に、該当するような女の存在は浮かび上らなかったのである。
「もし女の線でなければ、殺人の動機は、本国から持ち越されたものではないのか」という意見が次第に有力になってきた。これまで、女の線に沿って、日本人関係を主体に洗って来たが、もし本国から犯人が来たとすれば、捜査方針を転回しなければならない。
もちろん外国人が被害者なので、当初は、「犯人外国人説」が有力で捜査もその方向で進められていた。外国人の犯罪は、比較的あらわれやすい。来日外国人の数は限定されているし、出入国にあたって足跡を残さざるを得ないからである。
暑気捜査において外国人容疑者が浮上しなかったことと、アベックの証言によって日本人女性がマークされたために、捜査は日本人の方へ傾いていたが、いくら追っても、それ以上の足跡が現れない。
ここにアベックの証言が、再検討された。照明の不足する暗がりの中で瞥見べつけんしただけで、年齢も特徴もいっさい不明だった。日本人らしいというのは、姿形から判断した曖昧な印象に過ぎない。
「そんのアベックには日本人に見えたが、外国人女性だったのかも知れない」
混血ハーフということは考えられないか。ハーフならば、姿形は日本人に見えるだろう」
「被害者の本国を洗う必要がある」
しだいに犯人外国人説が勢いを盛り返して来たものの、日本国内には、すでに捜査すべき対象が残っていない。被害者が投宿していたホテルは捜査済みである。
残る捜査の対象は、被害者の本国であるが、アメリカまで捜査員を派遣することは出来ない。日本において発生した犯罪は、日本国内が捜査の範囲である。海外との関連事件は、たいていICPO(国際刑事警察機構)を通して、相手国に捜査の協力を依頼する。
かりにこちらの捜査員が出張したところで、捜査権はないし、言葉も通じず、地理や風俗習慣すべてに不案内の外地では、満足すべき捜査は望めな。ともかくICPOに依頼して、被害者の住所地をあたっれもらう以外になかった。少なくともそこは被害者が生活の本拠にしていた場所である。犯人とのつながりをしめすなにかの痕跡こんせきが残っているかも知れない。
まことに歯がゆいかぎりの捜査であったが、捜査員は海外にまたがる犯罪捜査の限界を感じていた。
2021/07/18
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