~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
怨 恨 の 刻 印 (2-03)
すれちがう一瞬、恭子が傾けた面の角度に、遠い記憶をかすかに揺るがすものがあったからである。だが忘却のカサブタを破るほどの強い刺戟しげきには足らない。水面に起きたわずかなさざ波のように、たちまち鎮まり、現在の恭子の公の顔パブリックフェイスともいうべきものに吸収されてしまった。
現在のイメージが強すぎて、過去のかすかな記憶が抑圧されている。だが確かにそれは存在するのだ。ジャーナリズムに乗ったパブリックな八木恭子ではなく、自分と個人的なつながりを持った恭子として、幾重にも重なられた忘却の厚皮の底に埋められている。それを掘り出すためには、もっと強い刺戟が必要だった。
そこのあることがたしかに意識されながら、手繰り出せないもどかしさ。──
「おい、どうしたんだ? 実物に見惚みとれてしまったのか」
その場に立ちつくして考え込んでしまった棟居に、山路が声をかけた。棟居は、はっと我に返って、
「それにしても八杉恭子はどうしてこんな所にいるのでしょう?」と半ば独り言のように言った。
「どうしてって、棟居君、こみ知らないのか?」
山路があきれたように目をまた向けた。
「知らないって、何をです?」
「八杉恭子は、郡陽平の細君だぜ」
「郡陽平の ──」
そう言えば、そんな名前の入ったボードがホテルの玄関脇の壁に取り付けられていた。
「八杉恭子が・・・郡の・・・だったのですか」
「本当に知らなかったのか。二人子供までいるよ」
「子供が居るのは知っていましたが、郡との間の子だとは」
「刑事としてはもっと社会常識も勉強しなけりゃいかんな」
山路は揶揄やゆするように笑った。それが社会常識に属する部類の知識かどうかわからないが、山路が知っているくらいだから、かなり知れ渡ってことがらなのであろう。
郡陽平は、与党民友党の青年将校のボシ的存在である。政界の“新感覚派ニューライト”の旗手と目され、党内の論客としても聞こえている。彼についは、いろいろな見方がある。
「八方美人だが、いつも強い方に付く」とか「変化自在の策士」とか、「年に似合わず、行動力と決断力に恵まれた親分肌」などとわかれている。
麻生あそう文彦政権にあって、「主流協力」の立場を取っているが、いったん事があれば、独自の動きをする“台風の目”と見られている。表面的には、党風刷新のための派閥解消を旗印にしながら、もちまえの人当たりの良さと多分にはったりがかった派手な動きで、他の非主流派や中間派の中に着実にシンパを増やしている。
次期政権担当候補者としての野心は、表面立っては見せていないが、党内有力派閥として着実にその地歩を固めており、「麻生後」の党内情勢の動き方によっては、麻生政権の大幹部に伍して次期政権リーダーを争うダークホース視する向きも多い。
山形県の農家の出身で、苦学力行して大学を卒業後鉄工所を設立して、軍部への出入りを許されたのが開運のはじまりということだが、その辺の消息が曖昧あいまいである。衆院選に出馬して初当選したのは、三十四歳の時で、当時は無所属だった。
現在五十五歳、国土政策調査会長に就任して長期的な視野に立つ国土総合開発計画に意欲的に取り組んでいる。そのため財界との関係が最近とみに密着してきた。
家庭は、妻八杉恭子との間に十九歳と十七歳の大学生の息子と娘がいる。恭子が超ベストセラーを出したので、郡陽平の知名度はさらに上ったと言われている。だがこのへんが彼の策士と呼ばれるゆえんなのだろうが、公的な場所では、恭子が自分の妻であることは極力出さないようにしている。テレビや雑誌のグラビヤ撮影などにおいても、あくまでも八杉恭子として行わせ、「郡陽平夫人」としての立場と切り放させている。
2021/07/27
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