~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
謎 の キ イ ワ ー ド (1-02)
それにしても、昨日はめちゃくちゃだった。
フリーセックスとか、ワイルドパーティなどと言われても、彼らの間にひとつの秩序があり、遊ぶ仲間も一定してくる。遊ぶ相手の身許みもとはおおよそわかっている。売春でもないかぎり、行きずりの人間とは遊ばないのである。また売春するフーテン女を彼らは軽蔑けいべつしていて、決して仲間に加えない。
時折、一夜の手軽な歓楽を求めて、若いサラーリーマンなどが紛れ込んで来ても、誰も相手にしない。
ところが昨夜は、手当たり次第だった。一緒にいて来る人間は、男でも女でも拒まなかった。雑魚寝の中に居る知らない顔は、そのようにして拾い集めて来た連中だろう。そしてマンションの密室の中で繰り広げられた狂宴 ──
恭平には、その理由がわかっていた。昨夜、母親と一緒にテレビに出演したのだ。彼はその時の自分の様を思い出すと吐き気がした。
── 母と子の対話、失われた世代における母子の心の交流は、どのようになされなければならないか。──
こんなもっともらしいテーマで全国向けのテレビの中で、恭平は模範息子を演技したのだ。それは母の名声を支えるための演技である。全国の視聴者だけでなく、母も、そして父も欺かれている。
── 恭平の家では親子の断絶などない。たとえ両親が仕事のため多忙をきわめ、子供と一緒に過ごす時間が少なくても、親子の間には常に心の交流が行われている。
「親子の断絶とか、親の疎外などということは、わが家では考えられません。それは親子の間には根本的な理解があるからです。親子の間にも、面と向かって言えないようなことがあります。そんなとき私たちは、互いに手紙を出すのです。同じ家に住んでいても、手紙を書き合います。手紙だと言えないことも書けます。息子や娘から来た手紙を読んで、私は知っていたつもりのわが子の心の襞に潜んでいた未知の領域に、どんなにか驚かされたことでしょう。
子供は、成長とともに変身していきます。自分の血を分けた子でありながら、襁褓むつきの子供とは別人になっていきます。親はそれをいつまでも同じと考えるところに、親子の断絶が生じるのだと思います。
子供を根本的に理解するとは、どういうことでしょうか? それは子供が成長の過程で別人に変身していくのを、絶えず追跡することだと思います。世の親御さんは、この追跡をないがしろにしておられるのではないであようか。私が子供に出す手紙は、その追跡のミサイルなのです。お子さんたちの成長は早い。たくさんのミサイルを射ち上げなければなりません」
わかりきったことを功名な話術と、美しい微笑で説いていた母のさかしら顔が目に浮かぶ。そのかたわらに控えて、もっともらしく相槌あいづちを打つのが、恭平の役目だった。
あんな説教で、親子断絶の救世主のように祭り上げられてしまったのだから、マスコミの力は恐ろしい。
だが、彼はなんだって、そんなテレビに出たのか? それは復讐ふくしゅうだった。母はいつも外面ばかりを気にしていた。ジャーナリズムの寵児ちょうじに祭り上げられる前から、若く美しい母は、外に向かってポーズばかりとっていた。
恭平には母がありながら、もの心つくころから母との記憶はない。彼に乳を与え、おむつを取り替え、そして幼稚園に通い出すようになってからの送迎、遠足の弁当づくりなど、すべてを老いたお手伝いがやってくれた。母が母親らしい顔をして現れるのは、PTAの会や授業参観日など大勢が集まる晴れがましい席だけである。その日だけ美々しく着飾ってやって来た。
彼女は、恭平にとって母であった母ではなかった。ただ産んでくれただけであった。
母親としてのなんの具体的な世話もしない子供を道具に使って、一躍マスコミのスターになると、“見せかけの母”ぶりはもっと徹底した。
それでも幼いうちはそんな母に対する畏敬いけいの念があった。よその母親と違って、家に居る時も美しく着飾っている母が、誇らしくもあった。
だが、長ずるにしたがい、母の単なる華美好きの、内容のない虚栄のかたまりのような正体を知りと、猛烈な反発が突き上げて来た。
2021/08/01
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