~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
謎 の キ イ ワ ー ド (1-03)
最初のきっかけとなったのは、小学校一年生の遠足である。ちょうどその日が、町内の有閑マダムと誘い合わせての老人ホーム慰安デーと重なっていた。生憎あいにくなことは重なって、婆やが体の具合を悪くして暇を取っていた。
母は、恭平のために遠足の弁当を作ってくれるでもなく、老人ホームに着て行く服をあれこれ迷って時間を失った後、
「今日は、お母さんは可哀想なお年寄りを慰めに行くのですからね。恭平は我慢するのですよ。お昼になったらこれでお弁当を買いなさい」
と千円札を一枚よこしたのだ。彼はその札一枚持っただけで遠足に行った。リュックの中が空っぽでは恰好が付かないので、入園時に幼稚園から贈られた気に入りの熊のぬいぐるみを入れて行った。
目的地は、山の中の沼のほとりだった。当時の千円は、今の一万円ぐらいの値打があったが、そんな山の中には何も売っていない。よその子供たちは、付き添いの親と一緒に楽しそうに弁当を広げていた。恭平は水筒も持っていなかったので、空腹を意識する前に、のどがからからになっていた。よその子の付き添いの親が見るに見かねて、おにぎりとお茶を分けてくれたが、彼はその時リュックの中を見られるのが恥ずかしくて、もらったにぎりめしを独り離れた沼の畔で食った。にぎりめしを頬張りながら、涙が頬を伝ってしかたがなかった。
恭平は、熊の縫いぐるみをリュックに入れて遠足に行った屈辱を胸に刻み込んで忘れない。母はとうの昔に忘れてしまったらしい。いや忘れたのではなく、彼が熊をリュックに詰めて行ったことすら知らず、千円渡して母親の責任は全うしたと思い込んでいるらしいが、恭平はその時自分の母親の正体を見届けたと思った。
もとより父親などは最初からないに等しい。仕事仕事で飛びまわり、政治に深入りするようになってから、同じ家に住んでいながら、ほとんど顔も見なくなった。その意味で、彼は孤児と大して変わりなかったのである。
孤児に、親子の断絶などあろうはずがなかった。
こちらは孤児のつもりでいるのに、一方的に母親を押し付け、母子の対話をマスコミ受けするように要領よく書き、それで一躍「全国母親の偶像」になったのは、笑止だ。
その偶像の模範息子も、やはり、偶像である。
二人は、一種の共犯者だった。ただ母親には共犯の意識がない。その偶像の片割れがひとかどのヒッピーを気どって、睡眠薬リスクやチャンコなべ(乱交のこと)ふけっている。もしこれがあらわれたら、母親の名声は地に落ちるだろう。
母ばかりでなく、父の政治生命にも影響するかも知れない。しかもその切り札を恭平が握っているのだ。
自分たちを破滅させる武器を子供の手に握られていることも知らず、虚名を維持するために、浮き身をやつしている両親が滑稽こっけいであった。彼らの無知の裏側で、思い切って破廉恥な若さの蕩尽をする。それも子を捨て、食い物にした親に対する痛烈な復讐ではないか。
2021/08/01
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