~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
謎 の キ イ ワ ー ド (1-04)
トイレから戻っても、もう一度、あの不潔な雑魚寝に戻り気がしなかったので、ダイニングキッチンの片隅の椅子に腰を下ろして煙草を吸っていると、いきなり背後から声をかけられた。
「私にも一本ちょうだい」
振り返ると、寝室の方から、彼がさっき足を踏んだ女が出て来た。
「なんだ、起きていたのか」
恭平が、テーブルの上にあったセブンスターの箱を投げてやると、片手で器用に受け止め、一本抜き取った。
「ほら、火だ」
「ありがと」
女は、恭平の差し出したマッチの炎から、煙草に火を移すと、美味そうに深々と喫った。
ラリった後は、煙草がまずいんだけど、今日は特別に美味しいわ」
女はすでに衣服をつけていた。シャツウエストのブラウスにミディスカートを穿いていたため、先刻起きぬけにちらりと見た発達した肢体が隠されて、おさない表情だけが協調されているようだ。まだ女子高生かも知れない。
「君とはどこで知り合ったんだっけな」
恭平は、記憶を追ったが、思い出せない。
「ショウジ(吉祥寺きちじょうじ)喫茶店サテンよ。スナックまわってるうちに、悪乗りしちゃって、こんな所までいて来ちゃった」
女は、いたずらを見つけられた子供のように、ちろと舌を出した。そんな表情は驚くほど稚い。とても行きずりの男たちと消火剤遊びをやるような女には見えない。
「そうか、ジョウジのサテンでね、あんた軟派のスケパンか?」
「ふふ、そう見える?」
女はいたずらっぽく笑った。笑うと右頬の下に笑くぼが刻まれて愛くるしい。その笑いが清潔である。恭平は、彼女と顔を向かい合わせているのが、まぶしくなった。
── おれは、この女と昨夜、本当に交わったのだろうか?──
交わったようでもあり、そうでないような気もした。白い泡の中で、誰が誰だかわからぬまま、抱き合った。パートナーも何度か代わった。泡にまみれて、相手はいずれも人魚のようにとらえどころがなく、うろこのような感触を残して逃れ去って行った。
泡に隠されたうえに、クスリの効果で、意識も正常ではなかった。こんな素晴らしい獲物を自分の網の中に入れながら、白い泡の下に逃してしまったとしたら。
恭平は、先刻、無造作に踏みつけた女の足の弾力を思い出した。肉の実った健康な弾力であった。こんな上質の相手には、このすさんだ生活の中では、今後絶対にめぐり逢えないにちがいない。
「ぼくは恭平、君の名は何というの?」
恭平は、追いすがるように尋ねた。彼女は昨夜吉祥寺の喫茶店で会ったという。だがその辺の記憶がどうもおやけている。
最後に寄った深夜スナックでハイミナールを食べた。苦いが、よく噛んで食うほうが、効くのである。最近は、クスリがなかなか手に入らない。薬屋が未成年者には売ってくれない。
一日をクスリ探しで過ごす。クスリを探して、全国フーテン旅行をする者もある。目薬や鎮痛剤を代用したり、ヘアトニックを飲む者すらいる。
ハイミナールは、彼らにとって貴重品だった。そのクスリに昨夜久しぶりにありついた。仲間と分け合って、快く酔った。なにかに酔わなければ、どうにもならないような気分であった。
この女とは、そのあたりで知り合ったらしい。一緒にダモン(モダンジャズ)を踊ったような気もする。もし彼女が吉祥寺のジャズ喫茶店にたむろしていたのであれば、都心から移動して来た深夜族かも知れない。
最近は、フーテンやヒッピーめいた若者たちの巣が新宿から中野、荻窪おぎくぼ、吉祥寺、下北沢、自由ケ丘などの“郊外”に移って来ている。それも本物のフーテンではなく、あくまでもフーテンを気取った疑似ぎじフーテン、似非えせヒッピーである。
彼らの内訳は、大学生、高校浪人、同じくそれの中退組、家出ヤサグレ少年少女、自称モデル、自称デザイナー、自称ジャーナリスト、不良女学生スケ バン、前衛芸術家、カメラマン志望、文学青年、サーキット族、作曲家やテレビタレント、俳優のなり損ない等々、種々雑多である。
彼らは何よりも恰好ポーズを気にする。世の中のためになんの建設も生産もしないが、格好のためには、命を賭けるような連中が多い。
彼らが新宿や六本木や原宿へ集まったのも、恰好をつけるためであった。ヒッピーやフーテンビートを気取ったのも格好のためである。だが、新宿や原宿は若者の町(深夜の)としてあまりにも有名になりすぎた。それこそ猫も杓子しゃくしも新宿へ集まって来た。
それは先住民族をもって自負する彼らにしてみれば、まことにおもしろくない。猫や杓子がいては、恰好が悪いのだ。こうして彼らは、その恰好を維持するために、“郊外”へ向かって、“民族の移動”を始めたのである。
一見、種々雑多のような彼らであったが、大きな共通項があった。それは定職がないということである。就職や就学の機会はあっても、しようとしなかった。いたん会社や学校へ入った者も途中から抜け出した。それは世の中からの脱落ドロップアウト以外のなにものでもない。要するにまじめに働いたり学んだり出来ない怠け者が、同類を求めて吹きだまってきたにすぎないのだが、彼らはそれを既成社会の道徳、機構、人間の画一化に対する抵抗と気取っていた。
「おれたち若者になにがあるのか?」と虚無的に構えて(それも恰好)何かを得るための努力もせずにクスリに酔い、モダンビートとセックスにふけり、スピードとたわむれた。
2021/08/02
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