~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
謎 の キ イ ワ ー ド (2-01)
ニューヨーク市警第六刑事部管轄下にある二十五分署所属のケン・シュフタン刑事は、あまり気乗りしない足取りで、イーストハーレムの一角を歩いていた。気乗りはしないが、警戒の構えは解いていない。パトカーは住人を刺戟しげきするので、なるべく乗り入れない。
この町のことは、隅から隅まで知っているつもりのケンだが、ここへ入る時には、背中にも目をつけてようにして歩かなければならない。二人一組 ペ  ア で行動するのが原則であるが、ケンは常に単独で動き、警部も黙認の形になっている。人間はたとえ仲間でも信用しないことにしているのだ。このイーストハーレムの大半の住人は、プエルトリコ人で、生活水準は黒人よりも低い。強い民族意識と貧困のために、教育を受けず、いつまでたっても英語は話せない。
顔なじみのケンが入って行っても、突き刺すような視線が射かけられて来る。彼らにとって刑事デカは決して相和することのない敵なのである。
今にも崩れ落ちそうな老朽アパートの鍾乳洞しょうにゅうどうのような入口に二十歳前の男の子たちが群がっている。何をするでもなく、所在なげに群がっている。アル中や麻薬中毒患者がボロのように転がっている。その周囲を小さな子供たちが落ち着きなく走りまわっている。彼らはケンに向けて、敵意と警戒を込めた目を集中した。ケンにだけではなく、外部から来る異分子には例外なく向ける視線である。彼らの中には拳銃けんじゅうを懐中に隠した者もいるかも知れない。それはニューヨークの最下層に閉じ込められ、どこにも出口を持たない者の絶望と屈折した怒りともいえた。
彼らが成人に達すると、前科のない者がほとんどいなくなると言われるほどの、ニューヨークの犯罪予備軍なのである。
シカゴのギャングは、マフィアを中心とした組織的なもので、かたぎの人間には手を出さないが、ニューヨークではチンピラが主体で、もっぱら一般市民がカモになる。
実際、ここではいつ背後から襲われるかわからない。彼らは何の理由もなく突如襲いかかって来る。住人同士すら信用し合っていない。スラム特有の社会からこぼれ落ちた者同士が身を寄せ合うぬくもりなどは露ほども無く、ニューヨークという巨大な文明都市からはみ出した荒れて乾いた人間の心が集まっているだけである。一人一人がみな距離を持っている。
セントラル公園をニューヨークのはらわたに、ハーレムを恥部にたとえる人がいるが、シュフタンは、ここをニューヨークの“排泄場ガーベッジ・ダンプ”だと思っている。ニューヨークが、その巨大できらびやかな物質文明の爛熟らんじゅくの化粧を施すために排泄はいせつした矛盾が、この一角に捨てられたのだ。
シュフタンは、ハーレムが嫌いだ。それでいて、ハーレムの悪口を言う者があると無性に腹が立って来る。この町に住んだ者でなければ、出口のない暗所に閉じ込められた絶望感はわからないのだ。あり余るエネルギーをかかえなから、行き場がない。一ヶ月の家賃五十ドルの家の中は、眠るだけの場所であって、昼間いる所ではない。学校へも行かない。職もない、いきおい彼らの屯するのは、狭い裏通りになる。そこしか彼らの居場所がないのだ。そこから脱出するためには、犯罪者になるか、戦争へ行くしかない。
ケン・シュフタンもかつてそこの住人であったから、そのことがよくわかるのである。家から追い出され、わずかに日の射し込む場所を追って移動する。夏は逆に日陰を追う。そのうちにかっぱらいを覚えるようになる。ローラースケートで故意に物売の屋台に突っ込み、商品を街路にぶちまける。商人が怒って追いかけて来る隙に仲間たちが品物を取り込む。時々迷い込んで来る観光客などは、いいカモだった。フィルムを入れれないカメラで、撮影した振りをして、金をせびる。財布を出した時に、さっとそれを引っ手繰って横町へ逃げ込む。
隙さえあれば、近所の家に忍び込む。仲間のものでも遠慮なく盗む。年ごろの女の子のいる家では、二重シリンダー錠を取り付けた上に、打掛けラッチを付け、さらにドアーチェーンを備える。実に四重の構えを施すのだ。どんなに厳重なかぎを取り付けても留守とわかれば、必ず破られてしまう。
この人間不信のスラムで十七、八まで過ごすと、もういっぱしのわるになっている。ケンはここへ来ると、自分の過去の最も醜い姿を見せつけられるようで、嫌だった。だが、そこが自分の出生地であることに間違いない。そこに閉じ込められたことのない者が、けなすと腹が立つのである。
2021/08/03
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