うす暗い路地に風が走り抜けている。えた食物や、人間の排泄物の匂いを集めた臭い風だ。それがハーレムから噴き出る瘴気のようにケンに吹き付けて来る。その風に乗って紙屑が舞っている。靴先にまといついたその紙屑の一片を振り払おうとして見るともなく目を向けると、なにかのチラシらしい。
ケンは取り上げて、文字を読んだ。
──
週 末 奉 仕 会ウイークエンド・シークレットサービス・メンバーシップ
、当方ハンサムで健康な黒人男性多数取り揃えております。あなたの週末を楽しくするためにどのようなご命令にも従います。表ヘッド
、裏テイル、フランス語会話、ポラロイドン、調教師トレイナー、家庭教師、女学生、その他、いかなるリクエストにも応じる用意があります。人種不問、秘密厳守 ──
ケンは、唾つばを吐いて、チラシを捨てた。アングラのセックスアルバトの広告である。表とは普通のセックス、裏とはホモセクシュアル、フランス語会話とは口腔こうくうセックス、ポラロイドンは性写真愛好者に被写体提供、調教師はサド、家庭教師はマゾ、女学生はレスビアンの隠語である。
ハーレムはこの種の破廉恥なセックスアルバイターの供給源でもある。
この他にも、夫婦交換の斡旋あっせん、下着蒐集しゅうしゅうエージェント、時間決め、日数決めのセックスメート申し込みなど、まさにアメリカの恥部のオンパレードといった趣がある。
ケンは、これらのチラシを見る度に、ニューヨークもここまで墜おちたかと思う。これらのアングラアルバイトが成り立っているということは、それだけ需要があることを示すものだ。そして、客はほとんどが白人なのである。昼間や公の場所では常識的なマスクをつけている彼らが、マスクを取った時、一匹の性の獣となって、破廉恥な歓楽を購あがなう。機械文明の刺戟とストレスに麻痺まひして、彼らはもはや正常なセックスでは満足しなくなっている。
そこにニューヨークの、いやアメリカの奥深い病根の一つがある。
ハーレムの東南隅110ストリートから130ストリートの辺りを東イースト
へ行くと、スパニッシュハーレムの中心地帯になる。ケンの探す家は123ストリートのアパートだった。ようやく該当番地のアパートの前に来た。
入口階段の奥に暗渠あんきょのような奥が見える。壁は隙間がないほど落書きで塗り潰されている。ペンキ、マジックペン、スプレイのラッカーなどでおおむねセックスに関する卑猥ひわいなものである。反戦スローガンや政府批判の落書きが少し混じっているのが、異質な感じだ。
入口にアフロヘアの若者と、数人の子供が虚うつろな目を向けている。子供たちはいずれも腹がふくれている。この贅肉ぜいにく過多で半身不随になったニューヨークで、悪性栄養失調タワシオルコルに陥っている。
「ジョニー・ヘイワードがここに住んでいたはずだが」
ケンはアフロヘアの若者に話しかけた。どうせ管理人などという気の利いた者はいないと思った。
「知らねえな」
彼は、噛かんでいたチューインガムを吐き捨てながら言った。
「そうか、知らねえのか、お前の家ヤサはどこだ?」
ケンは声にドスをきかせて言った。
「おれのヤサがあんたと何の関係があるんだ?」
「ヤサはどこかと聞いてるんだ」
どうせ叩たたけば埃ほこりの出るチンピラである。刑事に家を探られることが都合の悪いものを、たいてい一つや二つはかかえている。この界隈かいわいのチンピラは、警察に自分の塒ねぐらを探られるのを極端に嫌う。
「わかったよ。おれはつい最近こっちへ来たんだ。よく知らねえ、このアパートのマリオに聞いてみな」
「マリオ?」
「一階の八号室だ。やつがここのドアのボスだ」
ケンはアフロヘアを放すと、アパートの中へ入った。暗い。外から来ると、少し目を馴らさなければ、何も見えない。どこかの部屋からつけっぱなしのテレビの音が流れて来る。
目がよういやく馴れて来た。階段を半階フロアほど上ったところが、一階である。饐すえたような空気が澱よどんでいる。天井に電球のないシャンデリアの形骸けいがいが下がっている。ちょっとした地震でもあれば、今にも落ちて来そうな感じである。ケンは、ぞの下を避けて通った。 |
2021/08/03 |
|