~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
断 絶 の 疾 走 (1-01)
「どこに行くつもりなの?」
朝枝路子はライトの切り裂く闇の前方に目を据えたまま言った。
「この道の続く限りさ」
郡恭平は、ニヒリスティックな口調で答えた。
気障きざな言い方ね」
路子は、鼻の先で笑ったようだった。
「本当にそう思ってるんだから、仕方がない」
平日の深夜で、車の姿はほとんどない。航空機の操縦席コックピットのような計器盤インストルメント・ボードには、速度、エンジン回転計、燃料、油圧、水温を示す計器類が機能的に配列されて、時速百二十キロの拘束で移動する機械の状態を正確に伝えていた。ダッシュボード中央の時計は午前二時を過ぎている。
「あまりスピードを出さないで」
「恐いのか」
「べつに恐くなんかないけど、高速道路でもないのに、そんなに出すと、何か飛び出した時に停められないわよ」
「なにが飛び出しても停めたくないね」
「あんたはいいけお、相手が迷惑よ」
「いやに今夜は殊勝しゅうしょうなことを言うじゃねえか」
「馬鹿々々しくなっちゃったのよ」
「馬鹿々々しい?」
しゃべっている間に自然に注意をその方へ奪われて、スピードが鈍ってきた。もともとこの区間では、時速百キロを超えるスピードをそれほど維持できない。日本の一般道路は、まだまだスピードをもてあそぶぶために延べられていない。
「何が馬鹿々々しいんだ?」
恭平は、質問を反復した。
「なにもかも、母に反抗して家出したことも、こうやってあなたと走りまわっていることも」
「それこそキザなせりふというもんだぜ」
「そうかしら? ねえ、私たちいったい何のために生まれて来たのかしら」
「そんなこと知らねえよ。べつに親に産んでくれって頼んだわけじゃない」
「誰だって頼まないわ。でもみんな大して疑いも持たずに生きているわね」
「君は疑いを持っているのか」
「このごろふっと考えることがあるのよ。私なんて生まれて来なかった方がよかったんじゃないかって」
「つまらね疑いは持たねえことだな」
恭平はサイドボードから煙草を抜き出して口にくわえた。路子が計器盤からライターブラグを抜いて差し出しながら、
「私ねえ、母がよく言うのよ、おまえは間違って産んでしまったと。安全期間の計算を間違えたんですって」
と言った。
「ふん、くだらねえな」
恭平は片手でハンドルを操りながら、煙草の煙を吐いた。
2021/08/24
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