~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
忘れじの山宿 (1-03)
「横渡様と棟居様ですね。お待ち申し上げておりました」
女中が運転手の手からバッグを引き継ぐと、廊下の奥へ案内しかかったので、棟居があわてて、
「我々はもしかすると、金湯館へ泊まるかもしれないんdす」
「金湯館へは、ご案内します。その前にちょっとお部屋でおやすみになってくださし。ここから一キロぐらいですから、もう着いたも同じことですよ」
女中はみ込み顔で先に立った。彼らの案内された所は廊下のはずれの八畳の和室であった。
窓の外に、紅葉の名残を留めたカエデの樹葉が枝をさしのばしいぇいる。話しを止めると、昼間だというのに耳を圧するような静寂が落ちる。
「いまお茶をもって参ります」
女中は、二人のバッグを形ばかりにつくられた床の間へ置くと、廊下を去って行った。窓を開くと、山気がなおいっそう身に迫った。
「静かだなあ」
「なんだか鼓膜が圧迫されるような静けさですね」
「我々はこういう静けさにれていないので、かえってとまどっちゃうな」
「それだけ、毎日、騒音に取り囲まれている証拠ですね」
「こんなひなびた所に、ジョニー・ヘイワードはどんなかかわりを持っていたんだろう」
横渡は煙草をくわえながら、首をひねった。東京に住んでいる彼らすらも、「霧積」をこれまで知らなかった。ともあれ、その謎を解くために彼らはやって来たのである。
廊下を伝う足音がして、先刻の女中が茶を運んで来た。
「ようこそお越しくださいました」
彼女は改めて丁寧に挨拶あいさつをした。最初は女中かと思ったが、態度や口のきき方から察して、どうもこの宿の女将おかみらしい。
「なかなかいい所だね、スモッグでススだらけになった肺が、隅々まで洗われるようだよ」
横渡の言葉は、お世辞ではない。
「本当に、ここへお越しになったお客さまは皆さんがそうおっしゃってくれます」
彼女はうれしそうに答えた。
「失礼だが、あなたはここの女将ですか」
横渡が確かめると、
「はい、家族だけでこじんまりとやっています」
「家族だけで、新館と旧館を切りまわすのはたいへんだろう」
「シーズン中はアルバイトを雇いますが、その他の季節は家族だけで間に合います。他人を雇うと、気を遣うことが多くて、かんじんのお客様へのサービスが行き届かなくなってしまいますので」
「言葉どおりの家族サービスだね」
「さようでございます」
「ところで東京の方から予約をしてきたとき我々についてなにか言わなかったかな」
横渡はさりげなく話題を変えた。女将は様子からこちらの身分を知っているような素振りがほの見えたからである。
「いいえ、ご予約はお客様直接ではんかったのですか?」
「ああ、会社に頼んだものだから」
横渡は、そらとぼけた。聞き込みをする場合、初めに身分を明かすと、相手の口を閉ざしてしまう怖れがある。またその逆に、刑事の身分を打ち明けた方が、相手の口を滑らかにすることもある。いずれにしても、相手を見たうえで決めることである。
「こちらへは何かお仕事ですか?」
「どうして仕事だとわかるのかね?」
横渡は刑事臭を消して来たつもりが、自分の職業を言い当てられたような気がして、少し驚いた声を出した。
「それは・・・こちらへお見えになる方は、たいていグループかアベックはご家族づれで、ハイキングをかねて来られますものね、男の方二人が、ただ温泉に入りにいらっしゃるよいうのは、珍しいですわ」
「なるほどねえ、こりゃあ、女の子でも誘って来た方がよかったかな」
横渡は、棟居の方に憮然ぶぜんとした表情を向けた。
「お客様のお仕事当ててみましょうか」
女将は笑いを含んだ表情で言った。
「わかるかね?」
「新聞記者・・・と言いたいのですけど。新聞記者じゃないでしょうね・・・刑事さんでしょう」
二人は驚いた顔を見合わせた。
「ズバリだよ、どうしてわかったのかね?」
当てられた以上、隠す必要もないと判断して、横渡は身分を明らかにした。女将は、どうやら話し好きのタイプらしい。下手に身分を隠すより、打ち明けて協力を求めた方が良い結果を得られるかもしれない。
「新聞記者や、雑誌の記者さんなら、お一人は必ずカメラを持っているはずですわ。お客様のカバンがどちらも軽くて、カメラが入っている様子はないし、それに記者さんはもっとおしゃれの人が多いんです」
「いや、これはまいったねえ」
横渡は苦笑した。いまは犯罪者が飛行機やスポーツカーに乗って行動する時代である。したがってそれを追う刑事の方も吊るしの背広にドタ靴というイメージはなくなった。
2021/09/04
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