~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
忘れじの山宿 (1-04)
若手の刑事の中には、一見、一流会社のエリート社員を思わせる者もいる。二人はそれほどではないにしても、少なくとも「ドタ靴刑事」のイメージはないと思っていた。
それがジャーナリストに比べられると、やはりどことなくヤボッたいのであろう。それをこの山奥の温泉宿の女将に指摘されてしまった。
「ごめんなさい、お客様がヤボッたいとかいうことではないんですよ。記者さんのおしゃれには、なんというかもっと崩れたところがあるんです」
女将は、言ってしまってから自分の失言に気が付いたように、慌てて訂正した。
「いやべつになんとも思っておりません。ところで刑事と見破られたので、率直に打ち明けます。実は私たちは東京警視庁からあることを調べにこちらへ来たのです。こちらが横渡刑事、私は棟居といいます。女将さんやご主人にいろいろ
うかがいたおことがあるのですが、協力してくれませんか」
棟居は、警察手帳をしめしながら名乗った。身分を知られたうえに、どうで今夜はこちら泊まりになる。宿帳に名前も記入することになる。
「私たちでお役に立つのでしたら、なんなりとお聞き下さい。お客様にとんだ失礼を申し上げてしまいまして」
女将の失言とは言えないほどの小さな言葉の放出が、彼女をして二人に一点借りをつくったような気分にさせたらしい。彼らは、そこへすかさずつけ込んだ。
「ここへは外国人もよく来ますか?」
棟居は、早速、質問の核心に入った。ぶっきらぼうな横渡に代わって、聞き役には棟居が当たることになっている。
「そうでございますねえ、なにぶんこんな辺鄙へんぴな所ですので、外人さんはあまり見えませんねえ」
「全然、来ないことはないのでしょう?」
「それはシーズンには何人かお見えになりますが」
「最近、アメリカの黒人は来たことがありますか?」
「黒人の方ですか・・・さあ、私の覚えている限りでは、黒人の方はいらっしゃいませんねえ」
「九月十三日から十七日の間なのですが、黒人は来ませんでしたか?」
棟居は、女将の顔を一直線に見つめた。ジョニー・ヘイワードが来日したのは、記録の上では今回が初めてである。すると霧積へ来る機会は、九月十三日入国してから、平河町のロイヤルホテルで死ぬまでの四日間しかない。新宿の東京ビジネスマンヨテルに滞在中、毎夜帰館していたそうだが、霧積なら日帰りでも可能である。
「九月は、まだけっこうお客さんがいらっしゃいますが、黒人さんは見えませんでした」
「この黒人なんですが、ここへ来なくともよいのです。なにかこの地に関係があるはずなのです。黒人と言っても東洋人に近い感じですがね」
棟居は、ジョニー・ヘイワードの死に顔を修整した写真と、パスポート添付写真からの複写を女将に見せた。だが女将に反応は現れない。
「あなたの記憶にないとなると、ご主人もおそらく知らないでしょうね」
「その黒人さんのことですか?」
「そうです」
「もし黒人さんが私共のお客になっていれば、これまでにないことですから、きっとよく覚えているはずです。あの、この黒人さんがどうかしたのですか?」
女将の面に少し不安の色が射しかけている。
「いや、ある事件の参考に足取りを追っているのです。ご心配なさることはありませんよ」
棟居は、女将の不安をなだめた。新聞をよく読んでいれば、彼が問題にしている黒人が、東京のホテル近くで殺されたことがわかるはずであるが、この静かな山峡でいで湯の宿を経営しているいかにも善良そうな女将が、東京のそんな血なまぐさい事件に関心を持ったとは思えない。またかりに持ったとしても、たった一度新聞に載っただけの不鮮明な写真との相似を、棟居の示した写真の中に見つけるのは、不可能であろう。
「ご主人だけこちらにいて、女将さんは山を下りていたことはありませんか? たとえばご病気になったような時などに」
「ああ、それでしたら、お産の時二回、それぞれ一か月ほど実家へ帰っていました。いまその子たちが小学校へ言ってますけど」
それがマイクロバスに乗り合わせた子供たちであろう。
2021/09/05
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