~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
道具の叛逆 (2-01)
ほぼ同じ頃郡陽子は、自分の部屋の中で蒼白そうはくになって立ちすくんでいた。見開いた両の目から、ぼろぼろと大粒の涙がしたたり落ちるにまかせている。よほど大きなショックを受けた様子である。
時折、唇を震わせて、何か独り言をつぶやいている。ひとりごとというより腹の底からいて来るうめき声を抑えているようであった。
「ひどいわ、あんまりだわ・・・ひどい」
部屋の中に居る者があれば、彼女のとぎれとぎれのゆぶやきを、そのように聞きとめたであろう。
「汚い!」
また吐き出すように言ってから、さらにひとしきり激しくいた。嗚咽おえつを部屋の外に漏れないように抑えているので、感情が内攻して、いっそう激しい嗚咽を誘い出している。
彼女の目の前のテーブルには、一台のポータブルラジオが置かれてあった。彼女は、たっや今それが受信した恐るべき会話を盗み聴いたのである。それは彼女の両親の正体をまざまざと見せつけてくれた。
陽子は、母親の部屋に仕掛けられた小型発信(盗聴)機から送られて来た両親の会話をはからずも、FM放送を聴こうとして、選局つまみチューニング・ノブを回している間に盗聴してしまったのである。
それを仕掛けたのは、兄の恭平である。兄の仕業であることは、すぐにわかった。だが両親の会話が受信されると同時に、陽子は金縛りにあったように身動き出来なくなった。
兄が指摘していた両親の正体が、高性能の盗聴器によって無惨にあらわにされていく。
兄が家を出る時、陽子は必死に行かないでくれといさめた。だが兄は妹の諫止かんしと懇願に耳を貸さなかった。
「陽子、おまえも早くこんな家出た方がいいぞ、おやじもおふくろも俺たちのことをペットぐらいにしか思っちゃあいねえんだ」
恭平は口をゆがめて言った。
「ペットなんてひどいわ。こんなに可愛がってくれているのに」
「これはな、可愛がるってもんじゃねえよ。俺たちはな、おふくろにていのいいオモチャなのさ。おまえ、一度だっておやじに抱かれた記憶があるか。おふくろの匂いを憶えているか。いねえだろい。生まれた時からお手伝い任せで、おやじやおふくろは俺たちを育てるために指一本動かしちゃあいないのさ。あいつらのしたことと言えば、俺たちのために“養育費”を払っただけだ」
「そんな言い方はないわ。パパとママをあいつらなんて」
陽子が半べそをかいた。
「他にどんな呼び方があると言うんだ? あいつらは、あいつらでたくさんだよ」
「でも兄さんは、ママと一緒にテレビやラジオに出たり、雑誌で対談をしたりしているじゃないの」
「それはおふくろの“営業”の手伝いさ。どんなに偉そうなことを言ったって、この世は金がないことには渡れない。あいつら、愛情はないけど、養育費はたっぷり支払ってくれたからな。いまさら貧乏暮しは出来ないようになっちまった。だからもっともと養育費を払ってもらうために手伝っているだけだよ。お前だって手伝いをしているんだ。親子ごっこのアルバイトだと思えばいい」
「親子ごっこなんて、兄さんはどうしてそんなひどいことが言えるのよ?」
「俺はね、あいつらの正体を見届けちゃったんだ。いちおう親の衣装を身に着けてはいるが、あいつらは親じゃないね」
「親でなかったら、何だっていうの?」
「生まれた時からの同居人だね、もっとも実施に同居した時間は、少ないがね」
「兄さんはすねてるのよ。本当はパパとママが恋しくて仕方がないくせに」
「俺がすねてるだって、はは、こいつは大笑いだ。俺があいつらを恋しくて仕方がないだと。おい陽子、あんまり笑わせないでくれよ。おかしくって、涙が出てくらあ」
恭平は、本当に目に涙をためて笑った。まるでなにかの発作が起きたかのようであった。あまり笑いつづけっために、しまいには脇腹が痛くなった様子である。ひとしきり笑って、ようやく発作が鎮まると、
「よし、おまえにあいつらの正体を見せてやろう」と言った。
「いったい何をするつもりなの?」
「あいつらの部屋に盗聴器を仕掛けておいてやる。FMラジオで受信できるから、あいつらの話していることを聴けば、やつらの正体がよくわかるさ。小型強力電池を内蔵しているから長期間つ」
「お願い! そんな賤しい真似しないで」
陽子は、悲鳴のような声をあげた。」
2021/09/19
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