~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
おもかげの母 (1-01)
ウィルシャー・ヘイワードは自分の体を車に当てて得た保険金と、賠償金で、息子のジョニーを日本へ送った ── という思いは、ケン・シュフタンの胸の内で動かし難いもにになっていた。ウィルシャーにはどうしても息子を日本へやらなけらばならばい切実な理由があったに違いない。
── その理由とは、何か?
ケンは、この事件に個人的な関心をかき立てられていた。どうしてそれほどにこだわるのか? 初めは、上司から命じられて渋々はじめた捜査であった。
「日本か・・・」
ケンは、ひと遠い眼をした。それは彼にとってまんざらかかわりのない国ではない。いや、かかわりがないどころか、野放途のほうずな青春の足跡を残した所である。金があれば、もう一度訪れてみたいと思っている。ケンの知っている日本は、戦いに敗れた直後の荒廃した焦土であったが、あの国の風土には、今のアメリカがとうに失ってしまった「人間の心」のようなものが残っていたような気がする。
今の日本が、その後どのように変わったか。ケンは、自分の目で確かめていない。ケンが戦後数年いた日本は、エネルギッシュな立ち上がりを見せた。
国民性とも言うべき勤勉さと民族的団結力は、敗戦の焦土から短時日の中に見事に立ち直って世界を驚嘆させた。「黄色い猿」とさげすんでいたケンたちであったが、蟻のような勤勉さと、集団において核反応のように発揮される彼らの力には、ミステリアスな脅威をおぼえたものである。
彼らにアメリカの物量を与えたら、絶対に勝てなかったという気がした。
日本人の強さと恐さは、大和民族という、同一民族によって単一国家を構成する身内意識と精神主義にあるのではあるまいか。日本人であるかぎり、だいたい身許がわかっている。要するに日本人同士には、「どこの馬の骨」はいないのだ。
それがアメリカは違う。人種の坩堝るつぼと言われるように、世界のあらゆる人種がモザイクのように寄り集まっている複合国家である。国民すべてが「馬の骨」ばかりである。
こういう国家では、人間の相互不信がうながされやすい。人々は人間よりも物質を信用するようになる。自動車販売機が世界で最も発達しているのがアメリカである。飲食物、雑誌、切符などから、生活必需品の多くが自動販売機であがなえる。
寂しい時、困った時、失恋した時も、コインを投げ込めば、それぞれの道の専門家が、テープレコーダーでそれぞれの人生の悩みに優しく答えてくれる。
聖なる神の教えから、独身者の為の電話セックスの相手まで、コイン一枚を投げ込めば、ジュークボックスの選局ボタンを押すようにワンタッチのボタン選択で、インスタントに得られる。
人々は、その手軽さと便利さで確実性(どこで買っても、同じものが得られる)から、自動販売機を何気なく使っているが、これは人間が物質だけを信用する端的なメカニズムである。
省力しょうりょくによって人件費を浮かす前に、金だけが人間をつなぐ媒体になってしまう。自動販売機でないまでも、駅、球場、劇場、銀行、ホテル、モーテル、レストラン、駐車場など人と金の集まる所で、人間は、相手の顔も見ずに金を受け取る。最初から手だけしか見えないようになっている所もある。
金はまさしく人間の間を移動しながら、そこで人間はまったく無機物化して、金だけが存在している。誰もそのことを何とも思わない。
物質文明の高度の爛熟らんじゅくは、人間の精神や温かさを遥か後方に置き去りにして、物質だけが先走ってしまった。この物質の悪魔の跳梁ちょうりょうに最も冒されやすいのが、アメリカのような合成国家である。
もともと地縁によって結ばれた同一種族による国家ではない。成功の機会を求め、あるいは母国を食い詰めてやって来た人間が寄り集まったのであるから、人間はみなライバルイである。精神を物質が支配する素地が、アメリカの誕生とともにあった。
だが、日本は違う。人間が最初から国土と共にあった。そこではどんなに物質が氾濫はんらんしても、人間を支配することはないだろう。
そこにケンは郷愁をおぼえていた。ニューヨークの荒廃ぶりを、職業がら、ケンは肌で感じている。
どこの国にも犯罪はある。日本にも、また社会体制の異なるソ連や中国にも犯罪はあるだろう。
だがアメリカの犯罪は異質である。犯罪の中で最も凶悪な殺人にしても、犯人にはそれなりの動機があるものだが、ニューヨークでは、通り魔的になんの動機もなく人を殺傷する事件が多発する。
ホールドアップが変身して、ただちに人を殺傷する。婦女を強姦ごうかんした後、ためらいもなく殺す。たまたま通りかかった通行人も巻き添えにしてしまう。
2021/09/30
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