~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
おもかげの母 (2-02)
「ヘイワード父子だがね、写真はないか?」
「写真だって?」
「そうだよ、特におやじの写真を見たいんだ」
「そんな気の利いたものななんかないだろうよ」
「何年も住んでいたんだろう。写真の一枚ぐらい撮っているだろうが」
「そんな金持の道楽はしないよ。写真なら、警察の方にるんじゃないのかい。カーライセンスとか、前科者のリストとかに」
「前科はない。カーライセンスはとうに期限切れになったまま更新されていないので、破棄された」
「それじゃあ、私の所になおさらあるはずがないじゃないの」
「あいつの部屋の荷物は、そのままにしてあるだろうな」
「荷物なんて、初めからありゃしないよ。あれじゃあ泥棒もはいらないね」
「もう一度調べさせてもらうぜ」
「ガラクタを警察で引き取ってよ」
マリオの声を背に聞き流して、ケンはヘイワード父子の部屋へ入った。ほこりが床にも積もり、足跡がついた。その後誰も入っていない証拠に、べつの足跡は見えない。ガラクタは、以前来た時のままに放置されてある。
丹念な検索は、結局徒労だった。狭い部屋の中と、いくらもないガラクタは、もはや捜すべき対象を残していなかった。
ウィルシャーは兵役に就いたことがあるというから、その方面に手をまわせば、写真を得られるかも知れない。だが、それには公式オフィシャルの許可が必要となる。
個人的な興味から調べているケンは、オブライエン警部にそこまでわがままを言いたくない。それでなくとも彼にはずいぶん迷惑をかけている。
「この辺が潮時しおどきかな」
ケンは“道楽捜査”の限界を感じた。その時ドアに軽いノックがして、マリオが顔をのぞかせた。
「もう帰るよ」
ケンは、彼女が追い立てに来たと思った。ケンの様子からマリイオは、目指すものが見つからなかったと察したらしい。
「今ちょっと思い出したんだけど、ウィリじい さんの写真を持っているかも知れない人がいるよ」
「本当か!」
マリオは、思いがけない情報を持って来た。
「確かに持っているかどうかわからないんだけどね」
「だれた、そいつは?」
「そんな恐い顔をしなくても教えてやるよ、そのために来たんだから、日本人なんだ」
「日本人?」
「ここに住みついてハーレムの写真ばかり撮っている変な日本人が居るんだ。爺さんも彼女のモデルになってやったかも知れないよ」
「彼女? すると女か?」
「そうだよ、もう二年ぐらいここに住みついているよ」
「そいつはどこに居るんだ?」
「ウエスト136ストリート22×番地だよ、ハーレム病院の近くのアパートに居るよ。この辺じゃちょっとした名物女だから、すぐにわかるさ」
ケンは礼も言わずに、マリオのアパートを飛び出した。ハーレム専門の日本人女性カメラマンが居たとは知らなかった。ハーレムは観光客の好個の写材となっている。通過する観光バスの車窓から、カメラの砲列が向けられるが、危険のPRが行きわたっているために、ハーレムの内部にまで入り込んで撮影する者は少ない。
精々、おっかなびっくりメーンストリートの125番街でカメラを構える程度である。それが女の身でここに住みついてハーレムに取り組んでいる女性カメラマンが居たとは、地元で顔のつもりのケンも初耳だった。
2021/10/03
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