~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
遠い片隅の町 (1-02)
捜査会議では、中山種の郷里の八尾町を一応洗うべきであるという結論が出された。種がもし殺害されたのであれば、犯人が流しでない限り、被害者の出身地も、動機発生の地として当然捜査対象に入れるべきだというのが理由である。
だが種が籬郷したのは、大正十三年である。五十年以上にもわたって培われた動機とは、どのようなものか? 今のところ誰にも答えられなかった。ともあれ、霧積周辺は洗い尽くして、捜査の対象はなくなっていた。かりに無駄足となったとしても、当面他に対象がなかった。
八尾行きは、再び横渡と棟居が命じられた。初めからの行き掛かりもあったが、八尾という新しい場所を見付け出して来たのも彼らである。やはり二人が最も適任者のようであった。
八尾町の案内によると、
──富山県の中央南部に位置し、人口二万三千人、南は岐阜県に接する。南部の県境には標高1638メートルの金剛堂山を主峰とした飛騨ひだ山脈の支脈が連なり、ここに源を発する室牧川、野積川、別荘川などの諸川が断崖だんがい山地を回折して北流し、流域の山麓山腹に段丘平野を形成し、これらの分流は町の中央で合流して井田川となる ──
またその歴史については、
── 神話に源を発する八尾町の歴史は古く、全域にわたって石器や土器の出土がみられる。八尾文化の基を礎いたのは飛鳥時代といわれる。町は、桐山城主諏訪左近すわさこんが城ヶ山(龍幡山)に構えたとりでを中心に発達し、越中と飛騨の要所となって栄え、富山藩の御納所として重きをなし、蚕種さんしゅ、生糸、和紙の取引が盛んであった。豪壮、絢爛けんらん曳山ひきやま、全国的に名高い「おわら節」は、江戸時代の町人文化の最も発達した華麗な面影を今に引き継いでいる文化財である ── と記されている。
八尾への交通は、空路富山経由で入るのと、上信越線、北陸線を乗り継いで富山へ出るコース、および東海道新幹線から高山線を伝って行く三つのルートがある。
彼らは、第二のコースを取ることにした。これだと上野から夜行が使えるからである。
大して期待できない出張は、出来るだけ安い旅費と、短い時間であげなければならなかった。
それでも当日の活動に備えて、寝台を取った。上野発二十一時十八分、翌日の午前五時十分富山に着くことになる。寝台はすでにセットされていた。彼らはすぐに寝台に入らず、窓辺に立って外を見ていた。
「こんなことでもなければ、おそらく一生行かなかったであろうなあ」
発車のベルが鳴り終わって、列車が穏やかに動きはじめると、横渡が少し感慨を込めた口調で言った。
「ヨコさん、たしか霧積でも同じ様な事を話しましたね」
棟居が指摘すると、
「そうだったかなあ」
と記憶を追うような目をして、
「今ふと思った事なんだが、あのおたね婆さんは俺たちが霧積へ行かなかったならば、殺されずにすんだかみ知ればいな」
と言った。
「そうとはかぎりませんよ、まだジョニー殺しとつながりがあると決まったわけじゃないんだから」
「君だって、つながっているという強い心証があるんだろう」
「・・・・」
「おれたちが一生行かなかったかも知れない場所へ行ったために、婆さんが殺されたとなると寝覚めが悪いな」
「考えすぎですよ」
「俺は、あの静枝とか言った孫娘のことが気にかかってならないんだ」
それは、棟居も同じであった。あの少女は、たった一人の身寄りを失ってしまったことになる。その不幸な面影が八尾という新たな土地を引き出したとも言える。
「俺たちは、たとえ犯人を捕まえることは出来ても、あの娘の寂しさは救ってやれないんだな」
横渡は、がらにもなく感傷的になっているらしい。
「あの婆さんはいい齢でしたよ。いま死ななくとも、いずれ近いうちにお迎えが来たでしょう」
「あんたのように割り切って考えられたらいいよ」
「私も身寄りとか肉親などというものはいませんからね、孤独にはれています。肉親を失った悲しみや寂しさもひんの一時です。人間はみな独りです」
「あんた嫁さんを貰うつもりはないのかね」
べつに身の上話をし合ったわけではないが、横渡は棟居が独身なのをいつとなく聞き知っていた。
「いずれそに気になったら貰ってもいいと思っていますが、今のところまったくその気になれません」
「嫁さん貰って子供でも生まれれば、考え方も変わってくるよ」
「女房をもらい、子供が出来ても、それぞれが独りであることに変わりはありませんよ。一生彼らに付き添ってやれませんからね」
「それは、人間はいずれ別れなければならんが、それでも人生の大部分を家族は一緒に歩くことになる」
「ただ一緒に歩くというだけで、それぞれが孤独だという本質に変わりありません。私は、肉親や友だちは、編隊を組んで飛んでいる飛行機のような気がするんです」
「編隊の飛行機?」
「そうです。ある機が故障になったり、あるいはパイロットが傷ついたりして飛行が不能になっても、僚機りょうきが代わって操縦してやれない。精々かたわらに付き添って励ましてやるくらいです」
「それでもないよりは、ましだろう」
「実質的にはそんな励ましはなにもないのと同じですよ。いくら励ましたところで、機の故障はなおらないし、パイロットの身体が回復するわけでもない。飛行機を飛ばしつづけるのは、結局、自分独りしかいないのです」
「ずいぶん厳しい考え方をしているんだな」
「人生なんて、一人一人が単座の飛行機に乗って飛んでいるようなもんじゃないでしょうか、どんなに機体が傷んでも他人の飛行機と換えることも出来ないし、操縦を代わってもらうことも出来ない」
通路に立って話し合っているうちに、列車の窓外に散る灯は疎らになってきた。すでに埼玉県に入っているらしい。通路にも人影がなくなり、乗客はそれぞれの寝台にもぐり込んでいた。
「さあ、俺たちもそろそろ寝ようか。明日は早いからね」
横渡があくびをしたのが、区切りになった。
2021/10/08
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