~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
遠い片隅の町 (2-04)
彼らは、種を知っているかも知れない唯一の身寄りである大室よしのを訪ねるために、その住所へ足を向けた。「福島」というのは、駅の周辺に発展した、八尾の新開地であった。所番地を頼りに行くと、どうも今朝小憩した旅館の近くらしい。途中で見つけた派出所に寄って聞くと、まさに今朝の旅館が、その番地に該当する。
「宮田旅館の経営者は大室さんという名前ですな」
派出所の巡査は、東京から来た二人の刑事にすっかり感激して宮田旅館まで送って来てくれた。
旅館へ戻ると、さっきのお手伝いが目をmるくして出迎えた。
「あれ、もう調べ事終わられたがですか?」
もしかすると今夜泊まることになるかも知れないと言って出たのだが、まだ午前中であった。
「いや、こちらに大室よしのさんという人がいるかね?」
「よしの? おばあちゃんのことかね」
「たぶんそうだろう」
種のいとこだから、年齢的にもそのくらいになる。この娘もどうやらこの旅館と縁つづきらしい。
「おばあちゃんに何か用?」
「ちょっと会わせてもらいたいんだ」
「おばあちゃん、裏の隠居部屋におられるわ。でも、おばあちゃんに何の用ながけ?」
「こちらは東京の刑事さんだ。はよう女将さん呼んでこんかい」
派出所の巡査に言われて、お手伝いはまるい目をますますまるくして、奥へ飛んで行った。
奥から旅館の女将が飛んで来た。
「うちのおばあちゃんが何かしましたか」
女将は顔色を変えていた。この静かな片隅の町では、刑事が訪ねて来たということが、一大事なのであろう。
「いやいや、ちょっとお聞きしたいことがあるだけですから、どうぞご心配なく」
棟居は、苦笑しながら、女将の心配を鎮めた。
「でもわざわざ東京からうちのおばあちゃんに会いに来られたんは、よっぽど大事な用ながでしょうね」
女将は、まだ驚きと警戒を完全に鎮めない表情で言った。
「いや、ほんのついでに立ち寄っただけですよ。役場でこちらのおばあさんが、谷井種さんのいとこだとわかったものですからね」
棟居は相手の表情に視線を凝らしながら言った。役場で閲覧した戸籍によると、この女将がよしのの息子の嫁である。
とすれば、種とも縁つづきということになる。だが女将の面には反応は見られなかった。
「おばあちゃんは、少し耳が遠くなっとられるけど、まだ達者ですよ」
女将は、棟居の下手したでの態度にようやく警戒を解いたらしく、二人を旅館の建物の裏手にある居住区の方へ導いた。
よしのは、裏の隠居部屋で猫を膝に乗せてのんびりと日向ぼっこをしていた。柔和な表情をした老婆である。南向きの八畳の和室は明るく清潔で、よしのが家族から大切に扱われている様子がわかった。
「おばあちゃん、東京からお客様だわ」
刑事という刺戟しげき的な言葉を伏せた女将の取次にも、老婆を驚かせたくない配慮がうかがわれる。
恵まれた環境で幸福な余生をすごしている老婆の姿があった。刑事らは、ふと、よしのと、若くして他郷へし、ダムからちて死んだ種の一生を比べた。天が同血から出た二人の人生をこのような明暗二色に染めわけたものは、何だったのか?。
「東京からこの私に、これはまあえたいこっちゃねえ」
よしのは、二人の方に目を向けて、居ずまいを正した。刑事らは老婆を緊張させないように初対面の挨拶あいさつをして、早速用件に入った。
2021/10/12
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