~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
遠い片隅の町 (2-06)
「どんなことが書いてありました?」
「そうだねえ。そのころの暮しぶりだったと思うがだけど、いまではやあ忘れそもたわいね」
「その手紙は、もう残ってないでしょうなあ」
棟居は、あまり期待せずに聞いた。なにしろ二十年も前の古」手紙である。あるいはもっと以前のものかも知れない。ところが、
「探しゃあ、押入れの隅にでも何通か残っとるかもしれんけどねえ。なにしろ年取ってくるとなんでも大事にしまい込む癖がつきますもんで」
よしのは、意外な返事をした。
「探せばあるかも知れない! お手数ですが、ぜひそれを探してもらえませんか」
「そんな古手紙に何か役立つことでもありますがけ?」
「それはもう大だすかりで。ここまで来た甲斐かいもあったというものです」
「ちょっこし、待っとってくたはれ」
よしのは言うと、ひざの上の猫を追って、意外に軽い身のこなしで立ち上がった。すわっている時は丸く見えたが、立ち姿は、ほとんど腰が曲がっていない。
「おしんちゃん、ちょっこし手伝うてくたはれ」
よしのは、好奇心に目を輝かして女将の後ろにぴったり付いて居坐っていたお手伝いに声をかけた。二人の職業が彼女の興味を抑えようもなくあおり立てているらしい。
「わし、探してあげる」
よしのに指名されたことでその場に居る資格を与えられたのを喜ぶようにおしんは嬉々ききとして立ち上がった。
二人は、隣室へ入ってあちこちがさごそとかきまわしている様子だったが、間もなく、よしのが手に古手紙の束を持って、出て来た。
「やっぱし、ありますたちゃ」
よしのはうれしそうに言った。
「ありましたか」
二人の刑事はおもわず息を弾ませた。はなはだうすい可能性だが、種が故郷へ送った音信の中に、ジョニー・ヘイワードるいは犯人に関する何かを書きしるしているかも知れない。
「この手紙の束をおぼえとりますちゃ。大切な手紙だけ取っておいたおんやからなあ、こん中におたねさんの便りがいくつかあったはずじゃ。いまで、さっぱり目が見せんようになってしもてね、細かい字は読めんがですちゃ」
よしのが差し出した古手紙の束は、いずれも紙が黄色く変質した、手を触れれば、ボロボロに崩れそうな古文書のような束である。
「これを拝見してよろしいのですか」
「ええ、ええ、どうぞ見てくたはれ」
棟居は、よしのから受け取った手紙の束を横渡よ二分して、探しはじめた。
「封書ですか、葉書ですか」
「たいてい葉書ですたちゃ」
「差出人の名前は、書いてありますね」
「おたねさんの字は、読みやすい字だで、じきにわかるわいね」
「何通ぐらいありますか?」
「三つか四つぐらいあったかねえ。これより前にももろうたけど、失うてしもたがです」
日付を見ると、いずれも二十年から三十年ぐらい前の手紙である。
「これでも娘んときゃ、男から付け文されたもんだが、嫁に来るときみんな焼いて始末してしもてね」
よしのが遠い日をしのぶ目をした。
「おばあちゃん、付け文て何け?」
おしんが聞いた。
「はれまあ、この子は、付け文を知らんがけ」
よしのはびっくりした顔をして、
「あんたらっちゃあ、男から手紙もろうたことはないがかいね?」
「ああラブレターのことか、いまどきそんな面倒なことせんわいね。電話ちゅう便利なもんがあるもんに」
よしのとおしんが話し合っている間、棟居と横渡は、古い手紙の差出人名を一枚一枚丹念に検べていった。二人の手許てもに残る手紙の束は、みるみる少なくなってきた。
2021/10/14
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