~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
決め手の窃盗 (1-01)
森戸邦夫は、郡アメリカへ行った事実までまことに調子よく探り出したが、その後の調べははかばかしく進まなかった。依頼人の新見からは、まだかまだかと督促して来る。とは言われても、簡単に他人のガレージに忍び込んで、その車をしらべられない。だいいち、恭平のGT6が郡家のガレージに入っているかどうかもわからないのである。
だが新見の督促は容赦がなかった。
「森戸君、君ともあろうものが、いった何をもたついているのだ」
「なにぶんにも住居侵入ですからね」
「そんなこと今にわかったわけじゃあるまい。なにも盗みに入るんじゃない。万一、捕まったとしても、大してことはないよ。酔っぱらって場所を間違えたと言えばすむ」
「捕まるのは、私ですよ」
「それだけのことはするつもりだし、すでにしているはずだ」
「それはよくわかっております」
「わかっているならなぜ早くやらない。恭平が無目的にアメリカへ行ったのは、絶対におかしいんだ。もしも君がやらないんだったら、他の人間を頼んだっていいんさぞ」
新見は、暗に後援スポンサーの打ち切りをほのめかした。
「部長、そんな殺生な事は言わないで下さいよ。これまでにも私が部長の期待を裏切ったことがありますか」
「だからこれからも裏切らないようにしてくれ」
とこんな調子で迫られて、森戸はすっかり追い詰められてしまった。これまでずいぶん阿漕あこぎな商売をして来たが、他人の家に泥棒まがいに忍び込んだことはない。
だが、新見は彼にとって大スポンサーである。森戸の抜群の成績は彼によって支えられていると言ってもよいくらいだ。新見が「ワンデスク・ワンシュレッダー方式」を取り入れてくれれば、森戸の社の得る利益は莫大ばくだいである。それはそのまま森戸の位置とマージンにつながる。
新見のヒキは、どんなことがあっても失ってはならなかった。森戸はついに意を決した。とにかく忍び込む以外に方法はないのだ。
「まあ、ガレージなら捕まっても家に忍び込んだのより罪が軽いだろう」と勝手な理屈をつけた。
郡陽平のやしきは千代田区二番町の奥まった一角にある。皇居に近く、付近は各国大使館や公休邸宅、豪華マンションが多い。都心にありながら、格調ある雰囲気をとどめた一等地である。
豪邸のオンパレードのようなこの一角にあっても、郡邸はひときわ目立つ存在であった。
これは陽平が鉄工所でもうけた金で建てた家で、イギリス中世の住宅様式を模した、柱やはりなどを白壁の中に浮き上がらせたハーフチンバー風と呼ばれる現代住宅である。屋根の勾配こうばいをリゾート風に強め、棟高を高くとったその家は見るからにスマートであった。
だがそれを囲むコンクリートブロックの塀と鉄板張りの内扉がものものしい。脇に通用口があり、門扉が開かれるのは、正式の来客がある場合と車の出入りの時だけらしい。
ガレージは、建物の一階の中に組み込まれてある。ガレージのシャッターが下りていると、どうにもならないが、ともかくそこまで行くためには、盛㎜哥門か塀を乗り越える以外に方法がなかった。
森戸がこれまでためらわせていたのも、そのガードの堅固さである。だが幸いに犬は居ないようであった。
彼は、ついにある深夜、行動をおこした。捕らえられた場合を考えて、ごく普通の服装にした。ストッキングの覆面に黒装束では、場所を間違えたという口実が通用しない。
証拠を撮影するために、カメラとライトを用意した。森戸が郡邸の前に立ったのは、午前三時である。すでに邸内の灯はすべて消えて、このブロック全体が深い眠りの中にあった。眠っているのは人間だけではなく、犬の遠吠とおぼえも聞こえない。月のない暗い夜だった。
森戸は、昼間下見をしておいた個所から侵入を企てた。コンクリートブロックの塀の一部に崩落したくぼみがあって、それが格好の足がかりになりそうであった。
案の定、くぼみは侵入を容易にさせた。くぼみに足をかけると、首がほとんど、塀の上に出た。家の中が寝静まっているのを改めて確認してから懸垂の要領で身体を持ち上げ、簡単に塀をまたぎ越した。芝生を敷き詰めた庭を駆け抜けて、一階の隅にあるガレージに近づく。シャッターが下りていた。折りたたみ式で、手をそっと触れてみると鍵がかかっていない。
森戸は闇の中でほそく笑んだ。これなら簡単にはいれる。身体がくぐり抜けられる程度の隙間を開けて、彼はガレージの中に入った。外から光を見られないように、シャッターを閉めなおして、ライトをつけた。
「あった!」
彼は思わず声を出しかけて、慌てて自らの口を被った。郡陽平の専用車らしい大型車のかたわらに、GT6MK2の空気抵抗を少なくした鋭い車体がうずくまっていた。解体の手は未だ及んでいないらしい。
森戸は車のフロントに寄って、綿密に検べはじめた。くわしく観察するまでもなく、前部バンバーやラジエーターグリルに明らかに変形が見られる。
とうとう相手の首根をとらえた。森戸の追跡は正確だったのだ。彼は勝利感を抑えながら、シャッターを切った。フラッシュが勝利を祝う花火のように同調した。
2021/10/19
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