~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
決め手の窃盗 (2-02)
そんなにじろじろ見ないでよ。恥ずかしいわあ」
彼女は練習したようなしぐさで身をくねらせた。言葉も東京風になっていた。
「君はたしかおしんちゃんと言ったな」
「新子よ、谷井新子が私の名前です」
「いったいいつこっちへ出て来たんだ?」
刑事さんがいらしてからすぐよ。遠縁を頼って飛び出して来ちゃったんです」
「その君がどうしてこんな所に・・・まさか」
「いやよ、変な疑いをかけちゃあ、これでも警察に協力するために来てるのよ。刑事さんの“会社”がこちらだとは知らなかったわ」
「いやべつに疑ったわけじゃないが、当てもなく飛び出して来て保護されたんじゃあないだろうね」
「とんでもない。私、代議士の郡陽平先生の家に居るのよ。八杉恭子先生の家と言った方が通りがいいかしら。とにかくこの二人が私の身許みもと引受人なのよ」
「えっ、君は八杉恭子の家に居るのか」
「先生と言って。天下の八杉恭子先生なのよ。それに私の遠い親戚しんせきなんだから」
「君が八杉恭子・・・・先生と親戚だって?!」
「母に聞いてわかったのよ。八尾から出た遠い縁つづきなの。だから私、半ば押しかけるようにして来ちゃったの」
「すると、郡陽平氏の家に不法侵入があったと聞いたが、君の所だったのか」
棟居は担当ではなかったが、同じ署内なので、話しは聞いていた。
「そうよ、私が捕まえたのよ」
新子は心もち胸を張るようにした。
「それはお手柄だったね。それにしてもここで君に会おうとはね、奇遇だな」
「いっしょに来られた、お猿さんのような顔をした刑事さんもここにいるの?」
「こら横渡さんが聞いたら怒るぞ」
棟居は新子のあけすけなものいいに苦笑した。わずかな会話だが土地のなまりを見事に消していた。
「今度は隣組になったわけね。たまには寄ってくださいな。コーヒーぐらいご馳走ちそうするわよ」
新子は言うだけ言うと、スキップするような足取りで出口の方へ去って行った。その後ろ姿を見送ってから、本部室へ入りかけた棟居は、なにかの発作が起きたかのようにその場に硬直した。
── 八杉恭子が、谷井新子の遠縁!──
たしかに新子は「八尾から出た遠い縁つづき」と言ったのだ。八杉恭子は八尾出身だったのである。一方、中山種は二十四年七月霧積で八尾出身のXに会った。この両者を結び付けるのは、あまりにも短絡すぎる。
八尾出身者は多いし、Xが霧積を訪れたのは昭和二十四年である。だが棟居の思考は、しきりに恭子とXを結び付けようとしている。ジョニー・ヘイワードが日本へ到着したその足でビジネスマンホテルね行った。そしてそこに八杉恭子が居た。正確には彼女の夫の郡陽平の後援会本部があった。
これを単なる偶然と考えてよいか? ジョニーは、もしかすると、八杉恭子に会いに行ったのではあるまいか。だが恭子には、ジョニーに来られては都合の悪い事情があった。その事情を中山種が知っているとしたら・・・。
棟居の思考は、めまぐるしく回転した。
「棟居君、そんな所に突っ立って、何を考えているんだ」
いきなり背後から声をかけられた。外から帰って来た様子の那須警部がそこに立っていた。
棟居は咄嗟とっさの判断でまだ那須に話す段階ではないと考えた。その前に横渡の意見を聞かなければならない。
2021/10/21
Next