~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
巨大な獄舎 (1-01)
棟居と横渡は、八杉恭子に思い切って直接当たってみることにした。資料の揃わないうちに容疑者に当たるのは拙劣であるとされている。容疑者にこちらの手の中を見透かされて備えを立てられてしまうからである。
だが現時点では、恭子は容疑者の域にも入らない。彼らは模索する方向の一つとして彼女に当たってみるつもりであった。マスコミの寵児ちょうじなので、いつ家に居るかわからない。この種の面会は、不意を衝くのが効果的である。
彼らは、恭子がある民放テレビのモーニングショーのワンコーナーにレギュラー出演しているのに目を着けて、そこで待ち伏せた。
彼女の出演が終わってスタジオから出て来るところを、棟居がすかさず声をかけた。
「八杉恭子さんですね」
「はい、そうです」
恭子は、マスコミ人種特有の造った笑顔を棟居の方に向けた。だが目の奥から冷たく観察している。
「ちょっとお話ししたいことがあるのですが、あまりお時間は取りません」
棟居は、うむを言わさぬ口調で押しかぶせた。
「あのう、あなたは・・・・」
愛想笑いが消えて、恭子の面に警戒の色がかれた。
「警察の者です」
棟居は警察手帳をチラリとのぞかせた。こういうやり方を彼はあまり好まないが、相手が忙しかったり、高圧的な場合には、わりあい効果がある。
「あの、警察の方が私にいったいどんな・・・」
恭子の表情に不安が揺れた。
「いえ、大したことではありません。ご子息についてちょっと伺いたいことがありましてね」
森戸の供述がまんざらでたらめでなければ、恭子は棟居の言葉に素通り出来ないはずである。他に口実がないので、森戸が訴えたことをダシに使ったのだ。恭子の足が停まった。
「恭平は、いま海外へ行っておりますが」
警戒が不審の色に塗りかえられている。それが演技か、自然のものか見分けがつかない。
「いえ、奥さんで結構なんです」
「私、あまり時間がないのですけれど、それじゃあ、十分ぐらいなら」
恭子は、棟居の強引さに押し切られたといった形で、局内のレストランの片隅へ誘った。セリフサービスらしく、このような会談には格好の場所であった。
2021/10/23
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