~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
巨大な獄舎 (3-01)
ニューヨークへ来ても、彼らはすぐに退屈しれしまった。ニューヨークにあるものはほとんどすべて東京にあった。東京よりもすべてにおいて、コントラストの強い街であったが、巨大な機械文明の行き着いた極限の姿がそこにあることは同じだった。
機能性、最高と最低の極端な落差、人間不信、車、公害、過密、虚飾、退廃、それらは東京にあったものを、そのまま移したような感じであった。
数々の「世界一」にもすぐに飽きた。摩天楼の高さもれてみればどうということはないし、芸術や美術には縁がない。最も気に入ったのは、タイムズスクウェア界隈かいわいのポルニショップや、ポルノ劇場だが、これは連れの路子が嫌がった。
馴れてみると、盛り場が全都に散っている東京に比べて、マンハッタンに集中しているニューヨークは、狭苦しい。遊ぶ場所が一か所に能率よく集められているようで、場所に変化を得られない。みんな同じ様な場所で遊んでいる感じなのだ。
探せば、おもしろい穴場があるのだろうが、不案内な土地なので、うっかり踏み込めない。結局、有名で安全な場所だけで遊んでいることになる。言葉のわからないことが、いっそう彼らの行動を制約した。
「あーあ、ニューヨークがこんな退屈な所だとは思わなかったな」
郡恭平はホテルのベッドに引っくりかえって大あくびした。五番街やブロードウェイにも行きあきた。朝起きても、もう行く所がないのである。金だけはまだ十分残っている。ホテルに閉じ篭ってセックスにふけるにも限度がある。三日もすれば、相手の顔も見るのも嫌になって来る。相手が嫌いになったというのではなく、同房の囚人のように相手の顔にカビが生えたように見える。なんでもいいから新鮮なものに飢えてきたのだ。鉄とコンクリートの巨大な集荷所のようなニューヨークそのものが、彼らを閉じ込めた牢獄のように見えて来た。
ニューヨークはあまりにも幾何学的であった。すべてが直線と鋭角で構成されている。街路は碁盤の目のように整然としていて、南北に通ずるのがアベニュー、東西に横切るのがストリート、道路のほとんどに番号が付いている。
番地も原則として百番ずつ増えていく。同じブロックでは、北側に奇数、南側に偶数がくる。これふぁ恭平にはニューヨークという巨大な牢獄の獄舎番号や囚人番号に思えてならなかった。
世田谷せたがやや杉並の迷路のような町や、番地が一番ちがいで途方もなく飛んでしまうブロックが懐かしくなった。吉祥寺ジョウジ新宿じゅくのサテンで屯していた仲間たちが恋しい。ニューヨークがつまらないのは、友人の居ないせいもあった。
「だから、どこかへ行きましょうって言ってるじゃないの。アメリカは広いんだし、ヨーロッパへ行ったっていいわ。なにもニューヨークだけに閉じ篭っていることないじゃないの」
路子もあくびを抑えて言った。これもうんざりした表情である。
「どこへ行ったって退屈だよ。俺はもうバタ臭い顔や食い物にき厭きした。日本へ帰りたいよ」
「まだ出て来たばかりじゃないの。帰ったら、また誰かに追いかけられる夢にうなされるわよ」
「魘されてもいいから、日本へ帰りたいおよ」
恭平は、ほとほと参ったという顔をしていた。ホテルの部屋から一歩外へ出れば、もう言葉に不自由する。学校で習った片言の英語など何の役にも立たない。もともと語学は得意でなかった。
言葉がわからないから、言いたいことも言えない。いつもおどおどしている。大都会はいつでも金のあつ者の味方のはずだったが、ニューヨークへ来て、いささか勝手が違った。
2021/10/27
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