~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
巨大な獄舎 (3-02)
金さえ出せば、たしかに何でも欲しい物は手に入れられた。だがそれは自動販売機で物を買うように、はなはだ味気ない。東京に居た時のように、「客」として遇されることがない。一流のクラブやレストランや劇場へ入っても、気後れしてしまう。ボーイやウエイトレスまでが「黄色い猿」と見下しているように思える。
事実、有色人種は、白人から差別されている。同じ金を払っていながら、いい席は常に白人が占め、サービスも彼らが優先される。それに対して抗議も出来ない。東京なら絶対にこんなことはなかった。ちょっとした従業員のミスや不始末でも、支配人を呼びつけてあやまらせる。
だが「天下の郡陽平と八杉恭子」の名前も、ニューヨークではなんの役にも断たなかった。こちらが客でありながら、従業員に遠慮をしている始末である。そういうストレスが内攻して、もはや耐え難いまでになっていた。このストレスは、白人が幅をきかせているテリトリーにいる間は解消しないだろう。
だが日本へ帰らない限り、どこへ行こうと退屈なことはわかっている。
少なくとも、ホテルの部屋に閉じ篭っている限り、セックス以外に何もすりことはなくともいやな思いをせっずにすむ。言葉も日本語で用が足りる。
恭平には若者特有の旺盛おうせいな好奇心もない。何を見ても同じだし、優れた芸術や美術に接しても感動したためしがない。物質と精神の極端にアンバランスな環境の中で育てられているうちに、感受性がスポイルされてしまったのだ。
その点は連れの朝枝路子も大同小異であった、だが、彼女の場合は、恭平のように「天下の両親」の七光りがないから、彼よりも多少耐性がったのである。
「とにかくごろごろしていても、しかたがないから、どこかへ行きましょうよ」
路子は誘った。日の当たらない、窓も開かないホテルに部屋に閉じ篭っていると、心の奥のひだにまでカビが生えそうな気がする。
「どこかへ行くって、どこへ行くんだ?」
「そんなこと、出てから決めればいいわ」
「行くとこなんかねえよ」
「でも一日中、こんな所にいられないわ」
「こっちへ来いよ、二人でまた寝ようぜ」
「もう十分、寝たわよ」
「今朝の分は、まだやってないぜ」
「あきれた! 昨日から今朝にかけて私たち・・・いやだわ」
「何回したっていいだろう」
「私、もうそんな気分にならないのよ」
「それじゃあ君独りで出かけろよ」
「私がチンピラに横町に引きずり込まれて、行方不明になっちゃってもいいの?」
「やれやれ」
こんなやりとりがあった後、二人はようやく重い腰を上げて、ニューヨークの街の中へ当てもなく出かけて行くのである。
2021/10/27
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