市中の雑踏をあてもなく歩きまわって、恭平はホテルへ帰って来た。大して歩いたわけでもないのに、ひどく疲れていた。ホテルへ帰ってもべつにすることはない。
「ちゅくしょう、馬鹿にしてやがる!」
恭平は怒ったが、電話機を持ち上げて文句も言えない。怒れば、下手な英語が、ますます出て来なくなるのである。
「あら、なにかメッセージが来ているみたいよ」
路子がナイトテーブルの上にある電話機を見て言った。電話のフックの脇に赤い光点が明滅している。メッセージランプで、フロントにメッセージが来ていることを告げているんのだる。
このごろは外出の度においちいちフロントへキイを預けるのが億劫なので、キイをポケットに入れたままにしている。そのためフロントへ立ち寄る機会がないので、メッセージが置かれたままになっているのであろう。
「変ねえ、ニューヨークに知り合いはないはずななおに」
路子が首を傾けた。
「おおかた勘定の催促だろうよ」
「ちがうわ、まだデポジット(預けた金)が沢山残っているはずだわ」
「じゃあ、誰が来たというんだ?」
「私が知るわけないじゃないの。あなたになにか心当たりはないの?」
「ない、それとも東京から誰か仲間が追って来たんだろうか」
「誰かにここに居ることを教えて来たの?」
「いいや」
「それじゃあ誰も追いかけて来るはずないでしょう」
「きみ、ちょっと行って来てくれよ」
「私が? 気味が悪いわ」
「そんなこと言わずに頼むよ。君の方が俺より英語うまいし、それに、女にはやつら甘いからな」
「しかたがないわね。まあ、あなたがスポンサーなんだから、行ってやるか」
恭平はアメリカへ来てからすっかり臆病おくびょうになってしまった。言葉が通じないので、、なるべくしゃべらないようにしている。少しでも複雑な会話を要求されるようなことには近づかない。食事も買い物も、セルフサービスのカフェテリヤかスーパーでする。どうしても話さなければならない場合には、路子に任せる。
路子にしても、語学の力は、恭平と似たようなものだったが、手真似でなんとか意志を疎通できた。何日か滞在している間に度胸もついて、大胆になって来た。女の環境順応力のせいであろう。
だがそれに反比例して、恭平は委縮いしゅくしていた。このごろはタクシーに乗っても、行き先すら言えないような始末である。
「まるで、私、“盲導女”みたいね」
と路子は苦笑したが、言い得て妙であった。
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2021/10/28 |
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