~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
救われざる動機 (1-01)
ジョニーの父親は日本へ兵役で行ったことがある。日本で日本人女性と愛し合い、子供が出来たとしても不思議ではない。たいていのアメリカ兵は日本人女性を捨てて、帰国して来た。子供が生まれていれば、子供もろともに捨てた。その母親はほとんどが娼婦しょうふである。父や母に捨てられた哀れな混血児は、米軍の去った後、日本の社会問題となったほどである
父親と共に、その本国へ来た子供は、幸運な少数であった。ジョニーも、その少数の一人であったのか。何かの事情で母親を伴って帰れなかった。母だけが日本へ残り、“一家”はアメリカと日本に離散したのである。
帰国後ジョニーの父は、しばらく、ジョニーの出生を届け出ずに放置していたが、テレサ・ノーウッドとの結婚後、夫婦の間に生れた子として、出生年月日を偽って届け出たのではあるまいか。
その後、テレサは死亡した。ウィルシャー・ヘイワードも酒毒に冒され、自分の寿命の長くないことを知る。ここにジョニーを(彼は以前より自分の実母が日本に居ることを知っていたのかも知れない)自分の生きている間に日本へ行かせて、実母に会わせてやりたいと願うようになる。。
そして、ウィルシャーは、自分の身体を、金持の車に当てて補償金を取り、ジョニーを日本へやった。ところがこの親心が仇となって、ジョニーは日本で殺されてしまったのだ。いったい誰に? 何の理由から?。
ここでケン・シュフタンは、さらに恐ろしい想像に突き当たったのである。
ジョニー・ヘイワードに突然訪ねて来られた「日本の母」は喜んだであろうか?
。普通の親子の情から推測すれば、喜ぶのが当然である。まして幼い頃、アメリカへ父親に伴われたまま消息不明だったわが子が、立派に成長して母の許へ帰って来た。これがうれしくない母があろうか。幼い頃、海を隔てて別れてしまったわが子の面影がいつも母のまぶたに揺れ、その心に引っかかったいたはずでる。よくぞ帰って来てくれたと抱きしめたまま、しばらく言葉も出なかったのではあるまいか。
しかし、もし母親が、すでに別の男と結婚して家庭をとしたらどうだろう? 日本人の夫との間には当然子供も何人か生まれている。夫は妻に、そのような“過去”があったことを全く知らない。夫は妻を愛し、子供たちも母親を敬愛している。生活も安定している。日本の中流の平和な家庭である。
そこへ突然「黒い息子」が訪ねて来た。たしかに彼女が腹を痛めた実の子には違いないが、二十数年前、父親に伴われて本国へ帰り消息が絶えたまま、忘れるともなく忘れていた。
もしこんな息子がいることを夫に知れたら一大事である。「日本の子供たち」に与えるショックも大きいだろう。平和な家庭に、思わぬ爆弾が投げ込まれた。母親のその時の動転ぶりが目に浮かぶようである。思いあまった彼女が、わが子を・・・
「しかし、いかに保身のためとは言え、母がわが子を手にかけるものだろうか?」
その疑問が、ケンの推測に最後の歯止めをかけていた。
2021/10/30
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