~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
救われざる動機 (2-03)
棟居は、新子との会話の中にまぎらされていた一つの疑惑に突き当たった。八杉恭子が新子を追い払ったのは、麹町署に置かれたジョニー殺しの捜査本部から遠ざけるためではなかろうか?
新子の口から八杉は、本部の刑事二人が八尾に来て顔見知りになったと聞かされたのであろう。口軽の新子に、これ以上余計なことをしゃべられてはたまらない。そこでその口を封じるために夫の新宿の事務所へ追い払った。
出来る事なら、八尾へ追い返したいところだが、それをすると、本部の注意をくかも知れない。それに警察沙汰にしたのは、新子ではないので、そこまでするのは酷だ。
── 八杉恭子は谷井新子が捜査本部と接触するのを喜んでいない。ということは、八杉に、ジョニー殺しに関してなにか後ろ暗い所がある証拠だ ──
「刑事さん、どうしたのよ、急に恐い顔をしちゃって」
新子に声をかけられて、棟居は我に返った。
「おしんちゃん、頼みがあるんだ」
「頼み、なあに?」
新子は無邪気に首を傾けた。
「八杉先生のことでちょっと調べてもらいたいことがあるんだよ」
「あら、八杉先生が何か悪い事をなさったの?」
新子の目が好奇の光を浮かべた。
「ちがうちがう、早合点しないでくれよ」
「なあんだ、悪い事じゃないのか、つまんない」
「君は悪い事の方がいいのか?」
「八杉先生って、内面うひづら外面そとづらがものすごくちがう人なの。テレビや雑誌では、美しくて、頭がよくて、良い奥さん、賢い母親の見本のように振舞っているけれど、あれくらい手前勝手でわがままな人はいないわ。旦那様とお子さんはお手伝いまかせ、子供もきっと産みっぱなしだったに違いないわ。家じゃあ、御飯一つ炊かず、下着一枚洗濯しないのよ。それで全国良妻賢母教の教祖みたいな顔をしてるんだから、チャンチャラおかしいわよ」
「ずいぶん手きびしいんだな」
新子は追い出されたことを根に持っているのではなく、初めからある種の反感を八杉恭子に抱いていた様子である。それならなおさら、頼みやすい。
「それで、私に頼みたいことって何なの?」
新子は棟居の顔をうかがった。
「九月十七日と十月二十三日に、八杉恭子・・・さんがどこに居たか調べて欲しいんだよ」
「九月十七日と十月二十三日、それがどうかしたの?」
「うん、ある事件にひっかかりがあってね。正確には九月十七日午後八時から九時頃のかけてと十月二十三日午前六時前後だ」
「その事件って、刑事さんが八尾に調べに来たことなのね」
「うん、まあそんなもんだ」
棟居は、しかたなくうなずいた。
「それ、アリバイ調べってやつでしょ?」
新子の目がまた好奇心に輝いている。棟居が返事に詰まると、
「いいわ、私の力で調べられるだけ調べて見るわ。八杉恭子の化けの皮を引っ剥がしてやるわよ」
「おいおい、勘違いしちゃいけないよ、八杉恭子さんはなにも・・・」
「いいのよ、私にはわかっているの。九月十七日と、十月二十三日に何があったか、図書館へ行って新聞のじ込みを調べれば、すぐにわかるわ。そんなことをするまでもなく、刑事さんが何の捜査をしているか、そこの看板を見ればわかるわよ」
新子は、面会室の奥にある捜査本部の方をあごでしゃくった。この娘は見かけの軽さに似ず、しんにしっかりした切れ味をひそめているようであった。
「これは言うまでもないことだけど、僕が君にこんな依頼をしたことは、絶対に伏せておいてくれよ」
「大丈夫よ、まかせといて、私もじかすると御主人を裏切ることになるかも知れないんですもの、誰に言うもんですか」
「それだけ承知していてくれれば言うことはない。それじゃあ八杉先生に悟られないように探ってくれ」
棟居は一縷いちるの望みを託して、新子に頼んだ。新子からの返事は、二日後に来た。
2021/11/01
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