~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
落ちた目 (1-04)
東京都西多摩郡檜原ひのきはら人里へんぼり付近の山林で、女の腐乱死体がアベックのハイカーによって発見されたのは十一月二十三日の午後四時ごろである。
血相変えたアベックに駆け込まれた人里の民家では、直ちにもよりの駐在所へ連絡した。在所巡査は、五日市町の本署へ報告すると、現場保存のために、アベックの一方の男に案内させて現場へ向かった。パートバーの女の方はショックから脱力したようになっていたので、人里の民家でやすませていくことにした。
死体は土中に埋められていたものが、野犬か山の獣に掘り出された後、鳥に突っつかれたので、むごたらしい状態になっていた。本庁に連絡が取られて、捜査一課の刑事や鑑識も駆けつけて来た。検視が行われた後、死体はひとまず五日市署の霊安室へ移された。
時間がすでに遅くなっていたので、本格的な現場検証は翌日行うことになった、現場は五日市署員によって厳重に保存された。
死体と一緒に埋められていたハンドバックの中身から、身許みもとが割れた。都下K市宮前町四十八番地小山田文枝(二十六)で、九月二十六日ごろより消息を絶ち、その夫から捜索願が出されていたものである。
直ちに遺族に連絡が取られて、死体の身許確認が行われた。夫は妻の変わり果てた姿に対面すると、「やっぱり」とつぶやいて、その場に立ちつくした。
翌日の解剖によって、死後経過は四十日~六十日、死因は全身打撲と内臓破裂によるものと認定された。死体は典型的な交通事故による損傷を呈していた。ここにおいて以前小山田によって出されていた訴えが、重要な意味を帯びてきた。彼は妻が何者かにかれた後いずこかに運び去られて隠されたと訴えたのである。
警察も小山田の訴えをいったん容れて、犯行現場と目されるK市鳥居前を捜索した。彼女の死体は、まさに夫の訴えを裏書きしていた。改めて死体の発見された現場が綿密に検索された。現場には何もなかった。
検索の輪が広げられた。一人の刑事が草むらのかげから何かをつまみ上げた。同僚が気配を悟って手許をのぞき込んだ。ビロード地に包まれたうす型の小さなケースのようなもので、びついていた金具をこじ開けると、シガレットケースのように開いた。中は柔らかいレンズ拭きに使われるような布地が貼ってある。
「なにかのケースには違いないな」
「ずいぶん小さいが、いったい何をれるケースだろう?」
刑事は首をひねった。二人で考えていてもラチがあかないので、上司に届け出た。それだけが現場近辺から採集された品であった。
上司にも何を容れるケースかわからなかった。動員されていた刑事の一人が、それをじっと見つめていたが、コンタクトレンズのケースかも知れないと言い出した。
「君はコンタクトレンズを入れているのか」
上司は眼鏡をかけていない刑事の顔を見た。
「いいえ、私は目がいいので、そんなしゃれたものを入れる必要はありませんがね、親戚しんせきの若い娘がコンタクトレンズを使っていまして、そんなケースを持っていたのを見たことがあります」
それが果たして犯人の残していったものかどうかわからない。だがケースの雨露にさらされた古さかげんは、死体の死後経過時間に相応するように感じられた。
ケースには、発売元と見られる『金亀堂・東京・銀座』のネームが認められる。もしこれが犯人の遺留品であれば、重大な証拠である。直ちにケースを持って銀座へ刑事が飛んだ。
2021/11/06
Next