~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
人間の証明 (4-01)
八杉恭子は、犯行を自供した。
「ジョニーが突然、私の目の前に現れた時、私はわが子にめぐり会えた喜びと、これですべてが破壊される絶望を同時におぼえました。ジョニーはニューヨークで偶然私の出版物を見かけて、私の消息を知ったそうです。羽田に到着すると同時に連絡して来たジィニーに、東京ビジネスマンホテルへ来るように指示しました。夫の事務所がそこにあるので、無理なく連絡できると思ったからです。ジョニーの父親のウィルシャーとは、終戦後、彼が進駐して来たとき知り合いました。私は当時、東京の親戚しんせきに寄宿してある私立の女学院へ籍をおいていました。戦火が激しくなっていったん故郷したものの、一度都会の味を覚えた身は、とても小さな田舎町に逼塞ひっそくしてはいられません。復学するために、両親の反対を押し切って再度上京した時、浮浪者に絡まれて困っていたのを救ってくれたのが、ウィルシャーでした。ウィルシャーは黒人というハンディキャップがありましたが、男らしく思いやりのある、本当にすばらしい人でした。私たちは恋に落ち、そのまま同棲どうせいしてしまいました。生家には、就職したとごまかしました。そのうちにジョニーが生まれたのです。
霧積へ行ったのはジョニーが二歳になった時でした。同郷の遠縁が霧積にいるということを人づてに聞いたからです。麦わら帽子の詩は、帰途、谷沿いの道でお種さんが作ってくれたお弁当を開いた時、その包み紙に印刷されていました。あまりに美しい詩だったので、ウィルシャーとジョニーに意味をわかりやすく訳して教えたのです。
あの詩がまだもの心のつかないジェニーにそんなに深く印象されているとは思いませんでした。麦わら帽子はジョニーがせがんだので、松井田の町で買ってやったものです。間もなく、一家が別れる時が来ました。ウィルシャーに帰国命令が下ったのです。私たちはまだ正式に結婚していませんでした。当時、米軍は正式の妻以外の女性を、本国に伴うことを許しませんでした。また私の実家は八尾の旧家で、外国人、それも黒人との国際結婚など絶対に許すはずがありません。ウィルシャーの再三の求めにもかかわらず、私たちが正式に結婚出来なかったのは、そのためです。
止むなくウィルシャーは、ジョニーだけを認知して連れて行ったのです。西条八十の詩集は、私がその時ウィルシャーに霧積の記念として贈りました。私は、両親を哀歓をかけて説得し、同意を得てから、ウィルシャーを追いかけていこkとにしました。
ジョニーを連れて行ったのは、日本では、私に生活力がなくてジョニーを育てるのが難しいのと、私を必ずアメリカへ来させるための保証の意味があったようです。
ウィルシャーが帰国した後、私はいったん帰郷しました。すぐにも両親の同意を得て、二人の後を追おうとしたのですが、なかなか言い出せないでいる間に人を介して、郡との縁談が生じたのです。周囲で話しがどんどん進行して形式的な見合いをした時は、断れないような情況になっていました。
私はアメリカへ去った二人に心を残しながらも、郡と結婚して、今日に至りました。
あの子のことは片時も忘れたことがありませんでした。あの子が成人して訪ねて来て、再会の喜びからめた時、私は絶望で目の前が真っ暗になりました。
郡は私が結婚前、黒人と同棲して、子供を生んだことなど知りません。もちろん恭平も陽子もそんな異父兄がいることなど知りません。自分と家庭を守るためには、ジョニーに消えてもらうしか方法がないと、追い詰められた私は浅はかにも考えたのです。私とジョニーの関係を知っている者は誰もいません。ジョニーは、自分のような隠し子がいるとわかると、私に迷惑をかけると思ったらしくて、いつも密やかに連絡してきました。ウィルシャーもジョニーが来日する前に死んだと、ジョニーから聞きました。
ウィルシャーがジョニーの旅費をつくるために自分の体を犠牲にしたということは刑事さんから聞いて初めて知ったのです。ジョニーはもうアメリカへ帰りたくないと言い出しました。日本の国籍を取って日本に永住したいというのです。私に迷惑をかけないから、私のそばに訴えました。
でも、ジョニーが傍に居ては、いつかは私の過去があらわれてしまう。そうなったら、私は破滅です。アメリカへ帰るようにジョニーを説得しましたが、彼はいうことをききません。私は追い詰められた気持になりました。
2021/11/14
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