~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第一章 他の者を救おうとすれば自からその中に飛び込め
第一章 (2-02)
青年将校が佐官級のダラ幹から手を切った背後には、また大川周明と北一輝の確執かくしつの影響もあるのだった。大川は小磯、建川らの将官級をはじめとして佐官級に懇親者が多い。これに対して、北は西田税を通じて、間接に軍人との接触を保っていたのである。西田は士官学校第三十四期の元騎兵少尉である。病気のため現役は退いたが、しかし橋本中佐や長少佐らの前に出ると先輩に対する礼をつくさなければならない。そんなところからも西田は桜会をはなれ、もっぱら自分よりは後輩の青年将校に眼をつけ、絶えず接触して改造熱をあおり、それによって自己の勢力を伸長しようとしてきた。その西田の影響下にあるのが、陸大の村中大尉や、砲一の磯部主計らである。その他大岸頼好、菅波三郎、大蔵栄一らの大尉、安藤主計中尉らの先鋭分子がいるが、いずれもみな西田の後輩である。
五・一五事件の際は、これらの連中は海軍側から強く参加の要望があったにも拘わらず、時期尚早論お唱えて参加しなかった。そのため、士官学校の士官候補生十八名が飛び出して海軍側に呼応し、あの大事件を引き起こした。彼らは首相官邸、牧野内府邸、警視庁、日本銀行、三菱銀行などを襲撃し。また帝都を暗黒にして戒厳令に導くために、民間の愛郷塾の関係者が変電所数ヵ所を襲って破壊を試みたが、これは成功しなかった。ただ首相官邸で戌犬養首相は「話せばわかる」と乱入者を説得しようとしたが「問答無用」と射殺されたのだった。またこの時代、西田税は海軍側の蜂起に対する裏切者として、血盟団の残党の一人に自宅で狙撃され、重傷を負ったが、しかし生命は取りとめた。
五・一五事件の際に何故陸軍側の青年将校が起たなかったか。おそらくその計画の具体的な建設企図がなかったために、その成功を危ぶんで自重論に傾いたのであろうが、それにしても彼ら皇道派の青年将校 ── 就中リーダー格の菅波大尉の影響下にあるとされていた士官候補生らが、何故青年将校らの手をすり抜けて、飛び出したのか、その理由はまったく不可解である。これまでに士官学校は、教育総監真崎甚三郎大将の金城湯池きんじょうとうちであるとされていた。真崎大将は皇道派の重鎮である。菅波大尉をはじめ、磯部、村中らの青年将校はその真崎大将らを中心に国家改造を念願している連中である。したがって士官学校生徒の急進分子は、皇道派の色彩が強い。だのに五・一五事件では十八名の生徒は、菅波らのすり抜けて行動を起こした。皇道派の青年将校から見れば、生徒らの行動は行き過ぎであり、また逆に生徒たちから見れば、青年将校は平素の口ほどもない、卑怯な連中である。
だが、今また士官学校生徒の中から、五・一五事件の先輩の志をくむ急進分子が出て、村中、磯部らの青年将校と連絡を取り、何かやり出そうとしているという。村中、磯部らがその生徒たちを温めているとすれば、五・一五事件の際に出来た溝を埋めようとしているのではないか、と辻大尉はそんな風にも思ってみる。
士官学校生徒は、まだ子供の純粋さから抜け切っていない。要するに、まだ嘴は黄いのである。その連中に、国家改造の手ほどきをするなぞとじゃ、危険千万である。何とかして思い留まらせたいものだ、と辻は思った。
── 五・一五事件の無暴な失敗を、ふたたび繰り返させたくない!
だが、それにしても佐藤候補生の子供っぽい、しかしそれなりに一所懸命に考えてきた「提案」を、どう処理したものだろう! 佐藤は溺れかけている仲間を助けるために、自らその仲間に入って、彼らがどの程度の計画を持っているかを探索しようという、いわばスパイの役割を果そうというのである。飛び込め、と命ずれば佐藤は飛び込むだろう。そうしたらどうなるか。何やらそこには、複雑な、厄介な事態が生ずるような予感に、辻は突き当たった。
彼は二本目のタバコに火をつけ、煙と一緒にフーッと息を吐き出した。
「その返事は・・・」辻はちょっと息を止めて、それから一気呵成に言った。「明日まで待て・・・明日、返事をする」
「ハッ・・・」
佐藤は何やら少し拍子抜けがした態だったが、それでもすぐ姿勢をしゃちこばらせ、
「佐藤候補生、帰ります!」
操り人形のような敬礼をし、廻れ右をして扉から出て行った。
2021/11/18
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