~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第一章 他の者を救おうとすれば自からその中に飛び込め
第一章 (3-01)
「これは厄介なことになったぞ!」
と、辻大尉は佐藤候補生の上靴の音が二階に消えると、我に返って、そう声に出してつぶやいた。── どう処置を下したものだろう?
村中、磯部らの連中が、どんな企図をもっているかは、ほぼ想像つく。要するにクーデターを起こして戒厳令を布かせ、現陸相の林銑十郎大将をロボット的首班に、真崎、荒木両大将を両翼として軍政府をつくり、天皇を取り巻く元老、重臣や、政界、財界の腐敗堕落した上層部を一掃し、皇道派を主軸として陸軍の結束を固め、満州事変以来の緊迫した国際情勢に対処しようというのだろう。
ここ数年来、陸軍内部では派閥闘争がはげしくおこなわれている。満州事変が勃発し、国際連盟脱退による日本の孤立化 ── 国際情勢の緊迫化が「戦争」気運をにわかにつくりあげ、それが一そう陸運内部の派閥闘争を刺戟しているのだ。
荒木、真崎を中心とする皇道派は、三月事件に失敗して退陣した宇垣大将のあとに出来た新勢力であった。宇垣時代にいじめられているだけに、派閥的結束には、強いものがある。陸軍部内に新たな勢力が出来ると、中央の要職はそれらの連中によって占められ、反対派は地方に遂われる。それがために今はまた荒木、真崎のの行動派の新勢力に対する反対者も擡頭し、それが清軍派となり、党制派となって結集しているのである。
統制派は、反対派というよりは、むしろ陸軍内部に派閥闘争のあるのを不可として、軍中央部の一糸乱れざる統制のもとに国家改造を考え、来たるべき「戦争」に対処しよう、よいう連中である。軍務局長の永田鉄山少将が中心で、陸士幹事から第二十四旅団長に転出した東条英機少将、新聞班長の」根本博大佐、前徴募班長の池田純久少佐、陸軍省軍事課員の片倉少佐・・・・それに辻大尉や塚本誠憲兵大尉らの名前もあげられている。そして、村中、磯部らの皇道派青年将校は、これらの連中を、自派の結束を邪魔する勢力として、ことごとに仇敵視していたのである。
辻大尉は、自分から統制派であるとは、一度も思ったことがない、だが、どちらかといえば、私党的な派閥観念の強い行動派の連中は、あまり好きではなかった。殊に行動派の青年将校から、信仰的に尊敬されている真崎大将は、一層蟲が好かない。
辻には、真崎大将に関し、思い出すだけでも唾を吐きたくなるような思い出があるのだった。──
昨年の八月、真崎軍事参議官を統裁官とする将官演習が、岡崎、名古屋、岐阜方面で行われた。補助官の最右翼は参謀本部附梅津美治郎少将で、戦術の上様のように言われていた石田保正大佐も補助官の一人だったが、その石田大佐の口利きで、一番ビリの補助官に辻も加えられたのである。上海戦線がえりのホヤホヤだった。
演習では、少将級の参加者は散々油をしぼられるが、しかしこの演習での点数が現役軍人としての最後の運命を決定することになるので、みな真剣だった。いい年をした親爺どもが、現地と地図とを見比べて頭をひねっている恰好は、おかしくもあれば、いじらしくもあった。
岐阜が最後で、玉屋という旅館が宿舎にあてられた。受験生の少将連中は、演習がすんでホッとした面持ちで寛いだが、補助官たちは採点に大童で、夜おそくまでかかった。それが一応終わってようやく晩飯をすましたのが、十時頃であった。
めいめいあてがわれた自室に引き取って寛いでいると、辻の部屋に、真崎統裁官の副官が入って来て、
「── 閣下がお呼びです」
と伝えた。
同じ参謀本部に勤務していても、参謀次長と作戦第一課の新品大尉とでは、面と向かって話したこともなかった。辻は、何用が起ったのかと、浴衣を脱ぎ捨ててまた汗臭い軍服を身に着け、地図や書類を抱えて、急いで出向いた。
すると、阿崎は、大きな日本間にただ一人浴衣がけで床の間を背にし、すでに一杯済ました後の赤らんだ童顔に、愛想のいい微笑をうかべて、
「やあ、御苦労、御苦労」
そして女中に酒の追加を命じ、
「仕事のことじゃない。まあ膝を崩せ、まあ一杯・・・」
と盃を差し出した。
辻は武骨な手つきで盃をもらったが、酒より早く用事を済ませたかった。新品大尉は、大将の前では窮屈で、酒を呑む気になれないのだ。一口飲むと、盃を返して、
「どういう御用でしょうか」
と伺いをたてた。
「なに、今夜はもう仕事はないから、ゆっくり話して行け」
真崎は気持ちよさそうに上体をふらつかせていたが、
「時に、どうだな・・・」と妙な鉾先を向けて来た。「このごろ南大将や小磯中将の評判はどうかな?」
突拍子もない質問でった。第一、辻は南大将や小磯中将の評判など気にとめてきいたこともない。返事の困って黙っていると、真崎は勝手にひとりでしゃべった。 ── 十月事件は南が陸相在任中に起こったことだが、南は事件をウヤムヤに葬り去ったこと、それから三月事件にさかのぼって、二宮、小磯のとった行動が怪しからぬこと、それに宇垣大将が陸軍を専断していたことなど。
2021/11/18
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