~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第一章 他の者を救おうとすれば自からその中に飛び込め
第一章 (3-02)
一通り話してから、真崎は言った。
「・・・彼らはだな、こうしてわが陸軍を堕落腐敗させた。これを刷新しないでは、日本の陸軍は崩壊してしまう・・・一体、君ら青年将校は、これをどう見ているのかね?

「閣下」と辻はさえ切った。「閣下は大将、自分は一歩兵大尉であります。大将や中将級の方々が、どんなことをしていられるか全く知りませんそ、また知ろうとも思いません。自分は一大尉として、与えられた任務を忠実にやることが、陛下に対する忠義と心得ているだけであります」
「偉い!」
真崎はまるで子供でも讃めあげるような言い方で、「さすがに君の考え方は、正しい。けれどもが、こういう腐敗堕落した大将や中将の存在を許すことは、本を清めずして末の濁りを防ごうとするようなものじゃ、と思うが、どうだな? 正しい、立派な陸軍を建設するためには、君らのような純粋無垢な青年将校が起って、源を清めなくちゃ・・・」
「閣下、ちょと待って下さい」と辻はもう一度さえ切って、「それは自分らの任務外であります。悪い所があるなら、閣下のような有力な方々が起って直していただかなくてはなりません。一大尉にそんなことまでさせるというのは、少し筋道が違うと思います」
「まあ、そうムキになるな」
と真崎は案外に気弱く、なだめにかかったが、辻は、もう問答無用だ、と思った。
「自分は、演習の事務についてでしたら、徹夜でもお相手いたしますが、そういう上層部の内幕はうかがっても仕方がありませんから、これで失礼いたします」
一礼して、起ちかけると、
「待て、待て・・・・まあ、いいから坐れ」
と真崎は手を振ったが、
「・・・同じようなお話しなら、御免蒙ります」
辻はそのまま席を起ってしまった。自分で自分のおさえが利かなかったのだ。── バカにしてやがる、爺さん、酔っぱらってでもいるんだろう!
辻は腹を立てて、一たん自室へ戻りかけたが、途中ふと考えて石田大佐の部屋を訪れた。真崎のに呼ばれたことを黙っていて、後日何かの誤解を招いては困る、と思ったからである。
石田大佐は話しを聞き終わると、苦い顔をした。
「君も眼をつけられているんだよ、真崎閣下の、青年将校獲得の目標にされたんだ・・・しかし上手に相槌をうっておけば、早く出世が出来たのに・・・惜しいことをしたね」
その最後の言葉は、妙な笑いに変わった。
辻はそっぽを向いた。── そんな出世なら「出世」にのしをつけて返してやる!
村中、磯部らの国家改造運動は、どいせ皇道派の概念から一歩も出るものではない よこ─と辻は思う ── とすれば、それは皇道派のための国家改造ではないか。彼らは国家改造熱に眼がくらんでいるから、純粋な気持で事を起こそうとしている、と言うかも知れない。だが、企図の底に横たわる概念がすでに皇道派である以上、そう言われても致し方あるまい。そういう私党的派閥の国家改造運動に、まだくちばしの黄いろい、一知半解な生徒が加担するのを、知って、知らんふりをすることはとうてい出来ないことだ!
辻は、結論的にそう思った。
── 然らば、どうすればよいか? 説得して止めさせるか、それとも佐藤の言うように佐藤をその仲間に入れて、彼らの企図がどの程度のものかを探索させた上で、学校としての処置を講じさせるか・・・?
辻は、考えこんだが、やがて顔をあげて、かぶりを振った。
── いや、この問題は、オレ一人で事を処理してはいけない・・・明日の朝、北野生徒隊長に報告して、指示を仰ごう!
翌日、辻は、生徒たちが学科の受講に行っている間を利用して、生徒隊長室に北野大佐を訪ねた。
辻は、事情を報告た。
最後まで、黙って聞いていた北野生徒隊長は、辻の言葉が終わると、顔をあげて言った。
「それはよいことを知らせてくれた。すぐ所属の中隊長に取り調べさせるのが順序だが、他の中隊長は、候補生の気持とか、国家改造問題などには興味も理解も持ち合わせていない。そこで君に頼むのだが、今少し内容の的確なところを掴んでくれないか。そのうえで、学校としても採るべき方策を決めるから・・・」
生徒隊長の指示は、命令として受け取って差支えない。
辻は、学科が終わって中隊に帰って来た佐藤候補生を、自室に呼んだ。
「昨日約束した返事をする・・・が、その前にもう一度聞いておくが、佐藤候補生は、どうしても隣りの中隊の武藤候補生らが国家改造熱に溺れるのを助けたいのだな」
「ハイ、そうであります」
佐藤はしゃちこばって答えた。
「その気持ちに間違いないな」
「間違いありません」
「よし、それならどんな困難にぶつかっても・・・例えば他人に誤解されるようなことがあっても、お前はやり透すか」
「ハイ、やり遠します」
「それが最善の身道だ、とお前は信ずるのだな」
「ハイ、そうであります」
「よし、それならやれ」と、辻は若い者を料理する快感に浸りながら言った。「ただし、これは非常に誤解を招く恐れがあるから、絶対秘密にやらなければいけない。適当な時期には中隊長が代わって処理するから・・・いいな」
「ハイ、分かりました」
辻とすれば、自分の生徒を長くそんな仕事に使う気は毛頭なかった。下手をすれば佐藤は窮地に陥り、仲間を救うどころか、自分が先に溺れないとも限らない。だから、適当な時期を見計らって佐藤には手を引かせ、あとは自分が代って処理する ── そう辻は、一応の処方箋をつくったのである。
だが、それにしてもこれは奇妙な成行きであった。自分の中隊の生徒をスパイに使おうとは、辻は夢にも思わなかった。スパイ ── いやな言葉だ。何となくうしろ暗く、あと味がわるい。
「── だが、敵情偵察ということもあるじゃないか。敵情偵察は、軍隊にとっては大事なことだ!」
強いて、そう思ってみる。だが、村中らの青年将校を、イレはいつ敵に廻したろう?
そう思うと、胸に苦々しものがこみあげる。
だが、事はすでに生徒隊長にも報告し、その指示を仰いで、佐藤に偵察を命じてしまったのだる。あとはどうなろうと、その時の状況にしたがって判断し、処置するほかはない。
辻は、その最後の肚を決めた。
そうして佐藤候補生の、奇妙なスパイ活動が始まったのである。
2021/11/20
 
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