~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第一章 他の者を救おうとすれば自からその中に飛び込め
第一章 (4-01)
十月二十八日 ── 日曜日だった。
佐藤候補生は前からの約束通り、隣りの中隊の佐々木、次木、荒川、武藤候補生らと連れ立って外出し、代々木新田の磯部主計宅を訪問した。見るからに借家然とした家である。和服姿の磯部は、待っていたらしく、愛想よく若い後輩連中を迎え入れた。
話しは、すぐ国家改造運動に入った。佐々木らとは、磯部は以前から日曜毎に訪問を受けて話し合っていたので、何もこだわりもなく、いきなり中心問題に触れる事が出来rた。新顔が一人増えたことは、若い同士が一人増えた、としか思わなかった。だから、磯部は何事でも隔意なく話した。
新顔の佐藤候補生が、いきなり嘴を入れた。
「それでは磯部主計殿がたは、国家改造の具体的な実行計画をお持ちですか」
「そりゃ、持ってるさ。具体的な実行計画を持たないで、国家改造を口にするなんて、バカげたことだ」
磯部は人を人と思わないような態度で、事もなげに言った。身体のがっしりした彼は 朴訥ぼくとつな中に精悍せいかんの気があふれている。
「どんな方法でやりますか」
「勿論、クーデターをやるのさ。クーデター以外に方法はないよ」
「軍刀は準備しておいてですか」
「軍刀? そりゃ準備してるさ」
磯部は佐藤候補生の子供っぽい質問にへきえきしながら、それでも教えるように言った。
「しかし一人一殺主義じゃ、今度は間に合わないから、どうしても兵力を使うことになるだろうな」
「青年将校の指導者は、どなたですか」
佐藤は考えて来たことを一つ一つ取り出して質問する。
「指導者? そんなものは別にないさ」磯部はまたへきへきしながら、「強いて言えばオレだろう。だがオレらは、何も別に指導者があって、その扇動や何かでやってるんじゃない。国が 内外の重大な局面にのぞんでいるのに、国家の有様がこれげはいかんと思うから起つんで、純粋な軍人精神の発露としてやるんだよ」
「西田税氏との関係は、どうなんですか」
「西田? 西田は別に、オレらの指導者というんじゃない。士官学校の先輩でね・・・そういう関係で、親しく行き来している。それに西田さんは、北一輝氏と永い国家改造運動をやって来られた人だから、そういう意味でオレらは敬意を払っている」
そこまで言うと磯部は、ちょっと言葉を途切らせたが、不意に、
「これから西田の所へ行こう。西田さんを紹介してやる」
すぐ起って、着物を着替えるために、細君を呼びたてた。── 磯部は何か思いつくと、すぐ実行に移さなければ、気の済まない性質の男だった。
西田の家は千駄ヶ谷にある。代々木山谷から最近引越したばかりがということだったが、見たところ五間か六間の、なかなか住み心地のよさそうな家だった。磯部の家は、それから見ると、ずいぶん粗末なものだった。
── こんな上等の家に住んで・・・西田氏は金をどこから得ているんだろう!
そんなことが、佐藤の頭をかすめた。
西田宅には、戸山学校の教官で、やはり皇道派の青年将校として名の知られている大蔵栄一大尉が、先客として応接間に坐っていた。
ここでも話しはすぐ国家改造問題に触れた。
磯部宅ですっかり改造熱の気分に馴染んだ佐藤は、大蔵大尉に向かって、
「これをやりますか」
拳銃を打つ真似をした。
それから佐藤は、
「西田さんに伺いますが・・・」と無遠慮に、しかしいかにも士官学校生徒らしい真面目さで聞いた。「西田さんは、こういう立派な家に住んでいて、生活費がずいべんかかるでしょうが、そのお金は、どうしていますか」
「どうしている、と君は思う?」
西田は長い馬顔を、佐藤に振り向けた。
「何か不正なことをしていらっしゃるんじゃないでしょうね?」
あまり露骨な聞き方だったものだから、それは一層子供っぽく思われ、みんなが笑いだした。
「不正か・・・不正は良かったね・・・」
西田も太い口髭をゆがめて笑った。そしてしのあと、佐藤の無遠慮な質問には取り合わなかった。西田はもっぱら大蔵や磯部と話した。
しばらくすると、佐藤がまたムキな態度で西田に向かって言った。
「国家改造の具体案というものがあるでしょう・・・それを聞かしてください」
「具体案?」西田は持てあまし気味で答えた。「そんなことは、今 聞く必要はないよ。毎日曜のたびに来給え・・・そうすれば自然にわかる」
その日は、そんな程度で帰校した・
2021/11/21
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