~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第二章 朧気おぼろげなる事を仮初かりそめうべないて
第二章 (1-02)
看守に伴われて別室へ入ると、坊主頭で背広服の男が二人、正面の机にならんでいた。
佐藤がその前に立つと、
「敬礼」
と看守の上等兵が号令をかけた。
その号令に、再び屈辱を胸にかきたてながら、型の如く敬礼すると、二十七、八の若い男が顔をあげて、
「名前は?」
と、たずねた。声も低ければ、態度も穏やかで、むしろ丁寧すぎる位であった。看守の横柄に腹を立て、心を尖らせていただけに余計にそう思ったのかも知れない。
「陸軍士官学校第一中隊第四区隊・・・士官候補生佐藤勝朗」
佐藤はしゃちこ張って、そう官姓名をを名乗った。
後で分かったのだが、二十七、八と思われた男は、松村という法務官で、実際は四十過ぎだ、と聞かされた。
松村法務官は、ちょっと書類に眼をやって黙読する風だったが、すぐ顔を上げて、佐藤と書類とを半々に見比べながら、
「佐藤候補生は、昭和九年十月十八日、陸軍歩兵大尉村中孝次を自宅に訪問し、その際次のような内容の国家革新のためのクーデターの計画を聞き、それに共鳴し且つその仲間に入った事実があるか、どうか・・・」
そう言って、法務官は、クーデターの計画内容を読んで聞かせた。それは佐藤が村中大尉や磯部主計から話を聞いて、辻中隊長に報告したのと、大体同工異曲どうこういきょくのものであった。
「村中大尉殿その他から国家改造の話は聞きましたが、自分は、それに共鳴したのではありません。別に考えがあって、『仲間』のような態度をとったのであります」
佐藤は眼をキラキラ光らせ、肥った胴体あら声を絞り出すようにして言った。
「別に考えがあって、仲間のような態度を取りました、と・・・」
法務官は傍らにならんでいる書紀に口述してから、佐藤に向かって、
「別に考えがあって・・・というのは、どういう考えか」
「自分はかねてから辻中隊長殿に訓戒されていた通り、士官候補生は未だ将校ならざる未完成者であるから、国家改造運動などに加わってはならない、と固く信じて居りました。ところが隣りの中隊の武藤候補生らが、さかんに国家改造熱にうかされたおりますから、彼らを救おうと思って、みずからその渦中に飛び込んだのであります。それも中隊長殿の訓戒 ── 他を救おうとすれば、自らその中の飛び込め。岸に立って、自分は濡れずに助けようとしても、足しけられるものではない ── という訓戒に従って、行動したのであります」
訊問は、しごく簡単にすんだ。── 口述書の末尾に署名捺印。
それがすむと、松村法務官は、いくぶん改まった口調で言った。
「被告佐藤候補生を、今日から勾留に附する」
「被告」といい、「勾留」といい、そういう不馴れな法律語が、一体何を意味するかは、佐藤にはまだよく呑み込めなかった。司令部のどこかに一室を与えられるだろうと、はじめに考えていた空想が、まだ頭のコビリついて離れなかったのである。
佐藤の次は、武藤候補生が呼ばれた。
武藤も佐藤とほぼ同じ時間を費やして出て来ると、上等兵の看守が事務的な口調で、
「自動車の乗車人員に制限がありますから、佐藤候補生と武藤候補生は、二人だけ先に行ってもらいます」
自分一人だけは別だ、とひそかに決めていた佐藤は、一瞬いぶかった。
── 一体、どこへ連れて行かれるのだろう?
武藤と彼の区隊長は起ち上がった。佐藤の区隊長も、何の躊躇もなく起ち上がった。
「じゃ、先に行くぞ」
「元気で頑張れよ!」
四人は看守に伴われて、一塊になって控室を出た。
2021/11/30
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