~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第二章 朧気おぼろげなる事を仮初かりそめうべないて
第二章 (1-03)
戸外はもうとっぷり暮れていた。ストーヴで温まった頬に、夜風が切るような冷たさだった。ふり仰ぐと、真暗な空からチラホラ落ちて来た。
── 雪だ!
しkし、誰も一言も発しなかった。
出入口に、寒い風に吹かれながら固まって待っていると、カーキ色の真新しい、大型の乗用車が来て、停まった。師団司令部の車で、佐藤らは一度も乗った事のない立派なものだった。
四名は後部の席に向かい合って納まった。すると、看守が覗き込んで、
「その窓覆いを、下してください」
窓覆い? 見ると、なるほど窓には窓覆いがあって、ヒモがぶらさがっている。
田中中尉が一瞬ためらって、
「このままでいいじゃないか}
と言うと、看守は無愛想な口調で、
「いや、新聞記者の眼がうるさいですから下してください」
命令でもするように言った。
新聞記者の眼がうるさい ── 何やらこれは重大犯人でも護送するような工合である。オレ達は ── オレはそれほど重大な事件を引き起こしたのだろうか?
窓覆いをおろすと、薄明るい電灯が四人の顔を照らしているだけの、まったく隔離された世界になった。そのまま自動車は駛りだした。誰も一言も発しない。何となく不安で、重苦しい。
とうとう佐藤は我慢し切れなくなって、田中中尉にそっとたずねた。
「一体、どこへ行きますか」
「想像の通り・・・」
田中中尉は視線を宙においたまま、言葉を押し出すように言った。
窓覆いの隙間からのぞくと、どこか分らないが、電車通りを駛っている。店々の電灯が明るく、雪が舞っていて、その中を人々が忙し気に歩いている。
間もなく自動車は、暗い道に出た。人通りのほとんどない、淋しい、田舎道のような所だ。折々貨物自動車とすれちがう。
やはて自動車は停まった。と思うと、また動きだした。だが、すぐまた停まった。
ガチャリ、ガチヤッ・・・・と錠前の音がし、重い門扉が開かれた気配だった。
── 一体、どこだろう?
自動車の扉が開いたので、降りると、目の前に事務所のような建物が眼に入った。そこの電灯を背にして、三人の兵が出迎えの格好で立っている。自動車に同乗して来た看守兵が、三人の中の上役らしい一人に、何か受け渡しのような言葉をのべると、その男はうなずいて、
「では、こちらへ・・・」
先に立って歩き出した。
その男は看守長で、他の二人は看守であった。── 四人はゾロゾロと看守長の後について行った。
一室に案内された。
看守長は部屋へ入るとすぐ佐藤と武藤に向かって、事務的に、
「所持品は全部取り出して、この机の上に置く・・・それがすんだら、衣服を全部脱げ」
と命令した。
佐藤と武藤はならんで、命ぜられた通り、所持品を机の上にならべ、衣服を脱いだ。戸外の雪が頭をかすめ、寒さに全身鳥肌立った。胴ぶるいが出た。
「猿又もとれ!」
看守があくまで事務的に言う。
猿又をとった。一物が小石のように股間に固くちぢかんでいる。
「口を大きく開け!」
口を開けると、佐藤と武藤のわきに立っていた看守が、それぞれの口の中をのぞいた。
それがすむと、
「腹這いになれ!」
それぞれの看守が肛門の検査をする。
「よし。その衣服を着用しろ!」
見ると、ベンチの上に青い襦袢、袴下、単衣服、綿入、靴下などが重ねて置いてある。
── これを着るのか?
寒さと、屈辱と、情けない思いに、声を上げて泣き出したいような気持になった。だが、じっと堪えて衣服を着用しおわると、看守が、
「此方だ」
先に立って歩き出した。一秒間のゆるみも与えないのだった。
2021/11/30
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