~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第二章 朧気おぼろげなる事を仮初かりそめうべないて
第二章 (2-01)
一週間後に、取調べが始まった。
朝の九時頃、鞄を持った看守がやって来て、
「出廷します」
と、丁寧な口調で告げた。
佐藤は、急いで厠の蓋を左右に開けて、扉の外へ出た。厠の蓋を開けるのは、不在を示す証拠だ。出廷は、一つ置いた西隣の房にいる荒川候補生と二人だけだった。
看守室で、囚人服を士官候補制服と着替える。赤い襟、軍曹の肩章、近衛の徽章・・・僅か一週間ぶりだが、一年間も別れていたような気持だ。懐かしい!手がふるえる。それに、何よりもそれは正規の服装である。着終えると、気分がしめつけられたしょうにしゃんとなった。
護送用の自動車が来た。刑務所に入る時乗せられた車だ。
「これは、こないだ入る時乗って来た奴さな」
二人が顔を見合わせて、苦笑すると、そばから看守がお節介を言った。
「上等の自動車です・・・ビイックですよ」
二人は、もう一度顔を見合わせて、苦笑した。
だが、それにしても看守の態度が鄭重になったことは、有難かった。多分、二、三日前、刑務所長に呼ばれた際、刑務所の取扱いについていろいろ注文をつけたのが、功を奏したのかも知れなかった。
師団司令部に着くと、すぐ待合所に入れられた。ここは牢屋ではないが、牢屋よりもひどい。そしてやはりガチャリと錠のしまる部屋だった。
「一種の留置場だろうな、ここは」
荒川が寒いので部屋の中を歩き廻りながらぼやいた。
一時間ほど待たされて、呼び出しが来た。
佐藤が先だった。看守について行くと、いつかの部屋だった。
松村法務官が書紀とならんで、机に向かっていた。傍らには、瓦斯ストーヴが燃えている。
「お掛けなさい」
法務官は如才のない手つきで、机の前の椅子を示した。佐藤は椅子についた。
「あなたのお名前は?」
「お父さんは?}
いやに丁寧だ。法務官は机の上に両手を組んで、その上から、まるで小学校の生徒にでも物を尋ねるような、殊更に優しい態度で訊問した。
一ト区切り訊問すると、法務官は書紀の方を振り向いて、もったいぶった顔つきになり、
「── 問、被告その方の名前は・・・」
と、ゆっくりと口述する。書紀は黙って、それを書きとめる。まるで芝居でも見ているような工合である。
その日は、身許しらべだけで終わった。
「今日はこれだけで終わります」法務官は何やら愉しんででもいるような口調で佐藤に言った。
「今度の事件の鍵は、あなたが握っている。とわたしは見ています。しかし、私は決してあなたに強要はしません。ただありのままを話して下さい。あなたに対しては、なたが実際にこの事件の仲間であるか、どうか、ということと、辻大尉の命令で動いたのではないか、ということを調べるつもりです。まあ、ゆっくりやりましょう・・・では今日はこれまで」
次に荒川候補生が出廷したが、二人あわせて午前中だけで済んだ。
帰りの自動車の中で、佐藤が、
「どうでした?」
一期上の荒川に対する取調べの模様を聞こうとして水を向けた。すると、荒川は口にするのも馬鹿々々しい、といった調子で、
「なに、今度の事件は、みんな辻サンの芝居だ。インチキだよ」
と手を振って、取り合わなかった。
佐藤は、ちょっと突き放されたような気分に落ち込んだ。── 辻中隊長の芝居? どうも解せなかった。
2021/12/05
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