~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第二章 朧気おぼろげなる事を仮初かりそめうべないて
第二章 (3-01)
年が明けて、一月も過ぎ、二月になった。
その間に、士官候補生らと前後して刑務所に収容された村中、磯部、片岡ら三名の青年将校の取調べが行われた。朝々、軍法会議に出廷する姿が監房の格子越しに見えた。
取調べは、慎重に行われている模様であった。殊に村中と磯部は皇道派の青年将校として、時の教育総監真崎大将や軍事参議官荒木大将などの直接の息がかかっているので、下手すれば事件は意外な方向に波及するか知れない、というので、事件は第一師団軍法会議に附されたのだった。第一師団長は、真崎派の柳川平助中将である。島田法務部長は、その柳川の下で、事件の取扱いに苦慮している様子だった。
── なに、オレが罪になって堪るものか・・・罪にするなら罪にしてみろ!
予審廷に行き帰りする村中と磯部の態度には、そういった風なところが露骨に見えた。殊に磯部主計は意気軒高を通り越して、刑務所を刑務所と思わぬような振舞に出ることが多かった。いつか師団参謀長が巡視に来た際など、「気を付け」の号令がかかったにもかかわらずわざと声を出して、
「アー、アー、アーッ・・・!」
大欠伸をして、さてはドタン、ドタン・・・と大きな足音をさせて、房内を歩き廻ったりした。参謀長など屁とも思っていないのである。
それに比べると、村中は大物らしく落着いていて、時々大声で看守と何か話しているのが佐藤の房まで聞こえた。
一番参っているのは、片山中尉である。風邪をひいたのか、いつも「クシュッ、クシュッ」と鼻を鳴らしているが、その鳴らし方にも元気がなく、すっかり滅入っているように聞こえる。出廷の姿にも元気がなかった。
青年将校の取調べは、一月末には一応終結したらしく、二月に入ると出廷する姿を見かけなくなった。
士官学校長の副官が「面会」に来た時、次木候補生が言い出した。
「さあ、もうじきに出られるぞ」
「どうして?」
佐藤が聞くと、次木は方をそびやかして、
「村中サンが、『もう峠を越した』というとったタイ」佐賀弁で喋った。「実はな、こないだ出廷した時、自動車で村中サンと一緒ンなった・・・『次木か』ちゅうからのウ、『御迷惑かけてすもません』ちゅうたら、『なに、貴様らのせいじゃない』・・・そしてそん時、色々と話したタイ」
それ以来、士官候補生たちは、入浴時や運動場で顔を合わせると、話は出所のことばかりだった。
佐々木候補生は、どこから割出したか、紀元節説をしきりに主張した。紀元節には、よく「恩赦令」などが出るので、そんな所から思いついたのであろう。
「オレは十一日はきっと出すと思う・・・いや必ず出すよ」
「出たら、第一番に何をしますか」
佐藤が聞いた。
「先ず酒だな」
「うん、飲みたいのゥ」と次木が尻馬に乗って言った。「ここにいて、だいぶ金持になったからのゥ・・・帰省の旅費は家から送ってくれたし・・・出たらジャンジャン飲むぞゥ・・・おい、出たら、一升三メートル(三円)の白鷹ちゅうやつ飲もうや!」
「よし、そいつと行こう」
次木と佐々木は話だけでもう舌なめずりしている。
酒の呑めない佐藤が、
「オレは大福が食いたい」
そう言うと、次木と佐々木が振向いて、
「貴様はなだ子供じゃのゥ」
半分冗談、半分真顔で言った。── 軍隊では、一期下ともなれば、完全に子供扱いであった。
佐々木候補生の主張する紀元節が、しぐ眼と鼻の間に近づいたが、所内の空気はまだ「出所」になりそうもなかった。
運動場で佐々木があっさり自説を撤回した。
「十一日説は、もうやめたよ。十七日に延ばしたよ・・・十七日には必ず出所だ」
みんなドッと笑った。別におかしくも何ともないのだが、笑わなきゃ損だといったような、囚われている者の気持と若さで笑ったのである。
それに運動場の上に広がっている空が青い。もう春を想わせる潤んだ色だ。じっとみつめると眼にしみる。その上燦燦と降りそそぐすばらしい陽光だ。青空の高さに向かって腹一杯の大声で笑いたい。出来るならば刑務所の高い塀を突き破って、軍歌でも高らかに歌いながら出て行きたい。来る日も来る日も、毎日蚊の鳴くような声でしか話せない ── 私語を禁じられているのだ ── 囚われの生活には、もう飽きて、飽きて、飽きぬいているのだ。
2021/12/06
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