~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第四章 このうえ何が起こるかわからない
第四章 (4-01)
相沢事件は、陸軍の内外に、異常な衝動を与えた。
相沢の兇行には、直接的な背後関係はなく、生一本で、激情的な性格からの単独行為であることは、彼の前後の言動から分かった。だが、その思想的根拠は、皇道派青年将校の国家改造 ── 昭和維新熱に根ざしたもので、またその思想的背景をなしているのは、「日本改造法案」の著者である北一輝と、その革命思想の尊奉者である西田税とである。そして相沢の兇行は、皇道派の元締めと目されている真崎大将が、むりやり教育総監の要職から追われた直後に行われたので、いわば陸軍内部における二つの派閥勢力の闘争の極端なあらわれとして、世間にも大きくクローズアップされた。
それだけに相沢の処罰はどうなるか ── その公判が、世間の注目の的となった。
怪文書が、また乱れ飛んだ。皇道派の連中から出された怪文書の一つ ──
    陸海軍青年将校ニ檄ス
永田事件以来頻々トシテ吾人ノ耳朶ヲウツモノハ「遁ゲ出シタ人ガアツタソウデスネ」「憲兵隊長ハ腰ヲ抜カシタトイウデハナイカ」「軍人モ近頃ハアマリ町人トチガエ違ワナイ」等々不快ナル嘲笑ナリ。「永田伏誅ノ真相」ナル一文ヲ接取シテ、軍人腰抜ケ論台頭ノ由来ヲ知リ、痛嘆憤慨禁ズル能ワズ、偶々千葉市内〇〇ニ相会セル有志十七名撤宵悲憤痛論自戒自奮ヲ誓イタリトイエドモ、皇国皇軍ノタメ尚意ヲ安ズル能ワズ。
僭越ヲ顧ミズ、敢エテ陸海軍全青年将校ニ檄シテ憂憤ヲ漏シ奮起ヲ冀望ス。
この檄文に「永田伏誅の真相」なる図面入りの説明 ── その内容には事実と相違した部分が多少ある ── を添えたのちに
    一、士風振起ヲ要ス
桜田門外落花ノ晨、井伊ハ戞々かつかつノ剣戟ノ中、輿中ニ留リテ自若タリシニ非ズヤ。大久保甲東ハ刺客島田一郎ニ左腕ヲ斬リ落サルルヤ、大喝一声シテ、島田ヲ辟易逡巡へきえきしゅんじゅんセシメ、犬養首相ハ拳銃ヲ擬セル闖入者ヲ制止シテ対談セルニ非ズヤ。
然ルニ何事ゾ、永田ノ醜状陋態ろうたい子女走卒ニモ劣レルハ? 然ニ兇徒奉行ニ迫るルヤ、与力ハ遁走シ、目明ハ腰ヲ抜カス態ノ銀幕、舞台ノ悲喜劇ソノママナル山田、新見ノ醜ハ殆ンド聞クニ堪エザルモノアリ。嗚呼、昌平久シクシテ士風ノ頽廃弛緩ニ至レルカ。
而シテ何ンノ奇怪事ゾヤ、鯉口三寸ヲ寛ゲ得ザリシ懦夫ニ、叙位叙勲ハ奏薦セラレ、或ハ自決退官ヲ厚顔免カレントシテ「体力及バズ」ト弁明コレ努メ、マタ「事件当時在室セズ」トノ事実歪曲隠蔽ヘト百方奔走シツツアリ。コノ二重ノ皇軍威信ノ失墜事ヲ坐視放任シテ縦断的、横断的連繋ヲ禁ジ、怪文書ヲ厳重取締マル等ヲ以ツテ抜本塞源ノ粛軍ヲ庶幾シ得ルヤ。
諸賢ヨ。吾人ハ利己主義ノ権化ナル青瓢箪式中央部幕僚トソノ二、三ニ操縦駆使セラルル張子はりこ将軍トニヨツテ、軍ノ統一、士気ノ振作ヲ期待シ得ベカラズ。 相沢中佐ノ神的一挙ハ、正ニコレ昭和武士道ノ開闢かいびゃくナリ。吾人青年将校ハ宜シクコノ気風ヲ学ビ、昭和ノ薩長土肥的下級思念武士トシテ、旗本旗本八万騎ノ浮薄軽佻ヲ猛撃一蹴シ、武士道精神ノ高揚ニ努力スルヲ要ス。
陸海当局ハサキニ盲旅行ト称シテ、水郷潮来いたこニ新聞記者ヲ伴イテ ── 当時新聞班ハ記者一人当リ五百円準備携行シ、ウチ四百円ハ金一封トシテ贈与セリト云ウ ── 真崎、荒木ノ純正将軍ニ統制攪乱者ノ悪名ヲ以テ筆誅ひっちゅうヲ加エシムルニ成功シ、今ヤ草刈海軍少佐を狂死トシテ葬リ去りリタル故智ニ学ンデ相沢中佐ヲ巷説妄信ノ徒トシテ抹殺セントシツツアリ。
当局 ── 恐ラクハ数名乃至数十名ノ幕僚群 ── ノ迷妄救ウバカラザルハ、モトヨリ多言ヲ要セザルベシ。
相沢中佐ノ超凡的行動ニ驚駭きょうがいシテ狂ト呼ビ、愚ト目スル者ハ、中佐ガ剣禅一如ノ修練ヲソノ純一無雑ノ天性ニ、加エテ神人一体ノ高キ精神界に在ルヲ理解シ能ワザチ自己ノ曖昧愚劣ニ自ヲ恥ズベシ。
相沢中佐ノ一挙ハ、実ニ天命ヲ体シ、神意ニ即シテ昭和維新ノ烽火ヲ挙ゲシモノ。コレヲ部内派閥闘争ン刃傷的結末と見ルハ無明痴鈍、アダカモ現下げんか部内ノ所動向ヲ以テ往年軍閥時代ノ藩閥的相削視スルト同一轍ノ愚ナリ。
今ヤ維新変革ノ前夜トシテ、国家ノ上下ハ維新カ非維新カニヨツテ明カニ二分セラレタリ。コノ潮流ノ最先端ニ立ツテ、接戦火ヲ吐クモノ、実ニ陸軍内部ノ維新派と非維新派トノ対立ナリトス。カクテ七月十五日、突如重臣ブロック、軍閥者流、新官僚群ヲ背景トシ、ソノ先棒タル林、永田ノ徒ハ統帥権干犯、違勅敢行ノ逆謀、七・一五反動クーデターヲ敢行セリ。天コノ不義ヲ寛過セズ。相沢中佐ニスニ神剣ヲ以テシ、電閃一撃、永田ヲ強靭兇死セシメシモノ、部内私闘ニ非ズ、維新ノ故ナリ。
維新ノ烽火挙ル! 諸賢ヨ、カク正視諦観シテあやまル勿レ。
天皇機関説的思想、行蔵ヲ以テ、皇位ヲ凌犯シ、万民ヲ残賊スルコト玆ニ年アリ国運民命将ニ窮マラントシテ真剣一閃維新ノ烽火挙ル。永田ノ頸血けいけつヲ、祭庭ニそそイデ、天神地祇ノ降雪照覧ノ下、民蹶起ノときハ至ル。烽火一閃、嗚呼、待望ノ機ハ来レリ。。慎ミテ憂国慨世ノ義魂ニ訴エ、奮起ヲ望ムモノナリ。
   昭和十年八月二十一日暁天ヲ拝シテ黙禱
                     在千葉陸軍青年将校有志
                     在館山開銀青年将校有志
神憑かみがかり式の蕪雑ぶざつで、幼稚な文句の羅列である。論旨も飛躍的で、コジ付けが多い。だがそれだけに、陸大を出ない、いわば実戦部隊の下級将校としての彼らの、陸大出で中央での要職にある幕僚達に対する憎悪と不平不満とが、いかに根強いものであるかが、生のままで感じ取れる。おして彼らの幕僚群に対する不平不満と憎悪とは、ただちに飛躍して、君側の奸 ── 元老、重臣ブロック、財閥を排除して維新革命を指向する。
彼らの維新革命の思想的基盤は、実戦部隊の下級将校として兵との直接的なつながりにある。兵の多くは農村出身である。彼らの出身地である農村は、満州事変以来の不況にあえいでいる。子女の人身売買は、農村ではもはや日常茶飯事となっている。満州事変以来の緊迫した国際情勢に対処するためには、強い軍隊を持たなければならない。軍隊を強くするたには、留守宅への後顧の憂いがあってはならないのだ。然るに大部分の兵の出身地である農村は、荒廃のまま放置されている。これでは国がよくならないし、安心して戦場で死ねない。だから君側の奸と結びついている軍中央部の幕僚群を粛正し、元老、重臣ブロック、財閥の元兇を排除して維新革命を断行し、農民をはじめ、労働者、中小商工業業者をその不当な政治的階級的圧迫から解放するのだ! それが皇道派青年将校の抱懐する維新思想である。
だが、青年将校のそうした胎動は、政治上上層部の保守的な考え方に馴れきった連中には、単なる陸軍内部の派閥闘争としか思えないのだった。つまり上層部の考えでは、永田はその派閥闘争の犠牲に供されたのである。
世間からは右翼的存在として見られている外務大臣の広田弘毅が元老西園寺侯爵の秘書でり連絡掛である原田熊雄男爵に向って、永田事件についてこう言った。
「── 現在、東京には右翼の連中だとか、いわゆる皇道派というような連中が、なかなか集まっているように思われる。で、皇道派といものは要するにいわゆる大学などを出ない連中、いわば実践部隊の連中をいうので、それと、いわゆる優秀な連中 ── すなわち大学を出て、中央の陸軍省とか、参謀本部に働いている連中との対抗みたようなものだ。その抗争で、いわゆる皇道派に同情をもち、また皇道派の頭目と見られる者は真崎とか荒木とかいう大将であって、要するに真崎とか荒木とかいうのは、陸軍の大部を占めている不平分子に迎合しているようなわけで、ある意味から言えば、そういうことがむしろ統制を紊す因となっているといってもいいようなものだ」
原田はその外務大臣の話や、永田事件そのものを要路の人たちから詳しく聞いて、御殿場の山荘に避暑している西園寺老公に伝えた。
すると老公は憮然とした面持ちで溜息まじりに言った。
「── まあ、なんとかして、日本だけはロシアやドイツの蹈んだ途を通らないで行けるかと思ったが、こんなようなことがしばしば起こると、結局やはりフランスやドイツやロシアの通った途を通らなければならんか・・・」
2022/01/12
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