~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第四章 このうえ何が起こるかわからない
第四章 (6-01)
岡田首相は、天皇機関説問題につづいて相沢事件の衝撃を受けて、自分の内閣ももはや余命いくばくもない、と感じた。
それで陸軍大臣の更迭がすむと、すぐ原田熊雄を通じて西園寺老公に申し入れをした。
「自分もこれから先、粘ることは出来るだけ粘りますが、どうかまたあとをよく考えておいていただきたい。後継首班として宇垣とか南とかいう説があるが、自分はそれについてよく考えてみたが、今日となっては、宇垣も南もどうもとうてい駄目だろうと思います。結局、湯浅か斎藤子爵がいいんじゃないかと思われます」
原田は、それを老公に伝えた。
すると老公は首をひねって、
「どうも聞いていると、総理の話もすべてロジックに合わない、筋が通らないけれども、止むを得まい。まあ、総理には『御苦労であったし、よくやった』と言って、西園寺も大変喜んでいた、と言っておくれ」
それから後継者については、
「どうも湯浅は、いざという時に固くなりはせんかと思う。やはり何と言っても、斎藤の方が年は取っておっても、政治の全体がわかるし、度胸もあるし、やっぱり斎藤がいいんじゃないかと思う」
そう原田にもらした。
斎藤実子爵は、海軍の長老として、さきごろ五・一五事件で犬養内閣が倒れた後を受けて、二年余り内閣首班をつとめた。西園寺老公は、その間斎藤内閣が人心の安定に寄与した実績を、高く評価しているようだった。
相沢事件に続いて、何が起こるか分からないという社会不安は、時が経つにつれて、少しずつ薄らいだ。陸軍方面も、陸相更迭に対して、不安動揺の空気は別に起こらなかった。その間に、不敬罪で告訴されていた天皇機関説問題も、美濃部博士の貴族院議院の拝辞、つづいて起訴猶予が決定して、すべての懸案が片付くかと思われた。
だが、起訴猶予が決定した日、美濃部博士が新聞記者に声明した中に「自分の信念に於いては少しも変わりがない」という言葉があったのに対して、また右翼の連中と軍部とが騒ぎだし「司法は博士の心境に変化ありとして起訴猶予をしたのに、本人は心境に変化なしと言っている」といきまいた。そしてそれが再び倒閣運動の材料となって燃え上がった。
それに対して美濃部博士は、司法大臣に宛てて書面で、「右談話は自己の真意に添わざるものがあるから取り消したく」と遺憾の意を表し、司法当局は機関説問題に対しては「著書は違反として取扱う」旨の声明を発表した。
だが、それも右翼と軍部から「声明は結局馴合いである」との非難の声がやかましくあがる材料となっただけだった。
どうやら機関説排撃運動の背後には、平沼男爵あたりが動いている、という噂が立った。そしてこれは、結局平沼騏一郎を中心とした右翼と軍部が一体となって永年計画した陰謀であって、要するに機関説を道具に使って内閣を倒し、現在の元老、重臣、天皇の側近を追い払って彼らの一味でこれを乗っ取ろうとする策謀であうというのだ。新聞記者連中も、それを口にしはじめた。
内大臣秘書官長の木戸幸一侯爵が、原田を訪ねて言った。
「牧野内大臣から元老に伝言だが、ごたごたして、もう政変もいつかわからないような情勢に見えるから、どうかこの後の内閣についてお考え置き願いたい・・・なお、いろいろな方面から機関説問題で槍玉にあがっている枢密院議長の一木さんをこの際辞めさせて、副議長の平沼男爵を議長に昇格させ、そうして軍部や右傾の空気を緩和したらどうかとの説があるが、その点もご考慮ねがいたい」
原田は、それを早速興津の坐漁荘に籠っている老公に伝えた。
2022/01/16
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