~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第四章 このうえ何が起こるかわからない
第四章 (6-02)
すると老公は気色ばんで、言下に退けた。
「木戸にでもいって、内大臣にそういってやれ。西園寺は、政変が起りゃしないこということで、はじめて後の内閣のことを考えるのではなくて、つねに後のことを考えている。で、もし西園寺の考えを発表した時、それに反対ならば、その時に内大臣がどうでもすればいいじゃないか。なお、平沼の議長昇格は絶対にならぬ。とにかくああいう類の者はなるべく力のないようにしてしまわなければ、世の中のためにならん」
毒を以て毒を制する式の平沼男爵の枢密院議長昇格問題は、西園寺の一喝にあって、暗に葬られてしまったが、しかし右翼と軍部の一部の連中の策動は、相変わらず執拗につづいていた。
殊に在郷軍人に対する煽動は露骨をきわめた。旅費をやって地方から呼び集め、九段の軍人会館に泊まらせて、連日酒を呑ませたりしては、気勢を上げていた。
九州方面に皇道派の元の憲兵司令官秦中将が行ったり、機関説排撃の急先鋒をうけたまわった例の菊池男爵が遊説して廻ったりしている、という風評も立った。
そういう情勢の中で、十月初旬、軍事参議官の連中が集まった席上で、一つにまとまった意見が出た。
「どうも政府は小出しにいろいろやるが、たとえば人に奢られるのでも、チビチビ奢られるよりも、思い切って一度御馳走になった方が本当に御馳走になったような気がする。で、政府もかれこれチビチビ小出しにやらないで、思い切って一つ、統治権の主体は天皇にある、ということをハッキリ声明したらいい。そうすれば不純な動機から ── 或は倒閣のために、或は権勢を得るための機会を狙って ── やるような連中と、とにかく騙されているにしても純真に考えてやっている連中とを区別することが出来る。そのきっかけをつくるために、思い切って一つ声明をしてもらいた。その声明後、大将連中もみんな手分けして、不純な連中を抑えるようにするから・・・」
一応、、もっともな意見であった。
軍事参議官の阿倍大将なおもしきりに言った。
「現役の方は、いま大したことはない。やはり騒ぎ出すのは在郷軍人の一部であって、純な奴と不純な奴とがあるから、これをどうしても区別しなければならない。そのためにはやはり声明を出してもらった方が都合がいい」
事実、陸軍省当局は国体明徴 ── 機関説排撃運動で朝から晩まで攻め立てられていて、古荘幹郎次官などは就任以来三ヶ月、次官らしい事務は何一つ落着いてやれない状態であった。在郷軍人は、いずれかといえば大体早くやめさせあられた連中で、いわば不平分子が多い。その上年配は上で、現役当時は上官であった者が多いので、古荘次官などは頭からひどく言われるし、下手に理屈を言えば乱臣賊子らんしんぞくし呼ばわりもされる。
2022/01/16
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