~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第四章 このうえ何が起こるかわからない
第四章 (6-04)
一方国内では、第一師団が明春三月に満州派遣が決定して居り、これにからんで新たな不安動揺が日を経るに従って大きく広がっていた。デマが乱れ飛んだ。
そのデマの一つによると、第一師団はいわば皇道派青年将校の温床である。うっちゃっておいたら「何をやり出すか分からない」ので、満州の第一線へやってしまえ ── ということになっていたのだ、と言う。
この満州派遣の決定は、第一師団管内の青年将校に大きな影響を与えた。満州へ行けば、いずれ戦場に身を晒すのだから、オレたちは死ぬに決まっている ── と青年将校は若い単純な心情でそう考える ── それに満州へ渡ってしまえば、維新革命は望めない。でおせ死ぬ身体なら、三月の渡満以前に事を決行しよう! そんな気分の動きが感じられるのである。
青年将校のそうした心情に、火を灯しているものに相沢公判があった。事件は、発生以来五十余日を費やして十一月二日にようやく結審となり、公判に廻付されることになった。起訴の罪名は陸軍刑法による「用兵器上官暴行罪」と、一般刑法の「殺人及び傷害罪」である。
予定された公判廷は、青山の第一師団軍法会議 ── 第一師団長は皇道派の柳川平助中将である。
柳川は、判士として歩兵第一旅団長佐藤正三郎少将、歩兵第一連隊長小藤恵大佐、野砲第一連隊長木谷資俊大佐、戦車第二連隊長長木民蔵大佐、本郷連隊区司令部附若松平治大佐らを任命した。そして裁判長には佐藤少佐、検察官は十一月事件を取扱った島田朋三郎法務官 ── このうち第一連隊長の小藤大佐は、土佐出身の山岡、山下の流れを汲む皇道派の有力な一員だった。
これに対して被告は、弁護人として法曹家の重鎮で貴族院議院の鵜沢総明博士と、特別弁護人として皇道派のチャキチャキである満井佐吉中佐を選定した。
被告と特別な親交のある西田税が主となって、右翼の亀川哲也、「粛軍に関する意見書」などの怪文書をバラまいて免官になった村中幸次、磯部浅一、それに現役将校として大蔵栄一大尉などが参加して、御膳立したのだった。
── 相沢の精神を生かせ!
それが被告側の右翼革命家や急進的な青年将校の合言葉であり、スローガンであった。
近づく相沢公判をめぐって、再び「何が起こるか分からない」暗雲が、重苦しく空を蔽いはじめた。
2022/01/18
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