~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第四章 このうえ何が起こるかわからない
第四章 (8-01)
年が明けた。──
政府は、休会明けの劈頭へきとう、議会を解散して、重苦しく険悪な政情を刷新するために、総選挙に訴える手段を取った。政友会が右翼や軍部と結托して、しつこく倒閣運動を策動している鉾先をかわすためであった。
そうした慌しい空気の中で、相沢事件の第一回軍法会議公判が、一月十八日午前十時、青山南町の第一師団法廷で開かれた。
その日は、朝からどんより曇っていて、折々は雲間から薄日がもれたが、空気はかなりきびしかった。だが相沢公判という、何やら軍部内の派閥闘争の上に狂い咲いた花のような異常な事件に関心を持つ一般傍聴者は、赤い煉瓦の塀に囲まれた第一師団司令部の枯芝の庭に早朝から続々と詰めかけて、入廷の許可を待った。特別傍聴者(軍関係)百名、一般傍聴者二十五名と限定されていた。そのため一般傍聴者はくじ引きで決定した上、厳重な身体検査を行って、入廷させた。
法廷の周囲の要所々々には腕章をつけた憲兵が立ち並び、警戒厳重で、一種物々しい雰囲気が漂っていた ── 法廷は、大正十三年九月の甘粕事件と、昭和八年の五・一五事件を裁いた歴史的な場所であった。
特別傍聴人席には小栗警視総監、阿倍警視庁特高部長、相沢被告の同期生代表として参謀本部庶務課長牟田口大佐など百名がぎっしりと詰めかけ、法務官席の後ろの椅子には香椎東京警備司令官、山下調査部長、大山法務局長などがずらりと並んだ。
一般傍聴席には、この事件に大きな動機を与えた村中幸次が紛れ込んで、あだかも軍法会議を監視するように公判の進行を精悍せいかんな眼差しでじっと見守っているのが眼立った。
公判廷は、はじめから異常に緊迫した空気に包まれていた。陸軍としても未曾有の大事件であった。事件そのものの表面に現れた波紋としては、すでに林陸相が引責辞職をしていたが、副産物として、当時の兵務課長山田長三郎大佐が故永田中将の百ヶ日に自宅で割腹自殺をとげていた。山田大佐は兇行の現場に居たのか、居なかったのか ── 相沢は部屋に入った時居たと言い、相沢に左上膊を斬られた新見憲兵大佐の証言では、隣室に橋本軍事課長を呼びに行って、居なかったといい ── その点は不明だったが、皇道派の怪文書では、「逃ゲタ者ガアッタソウデスネ」とさかんに叩かれた。
その疑惑に対しては山田大佐は一言も弁解しなかったが、あだかも死をもって誤解に抗議するかのように黙って自刃して果てたのである。
しーんと静まり返った中で、法廷正面の小時計がチン、チン、チン・・・と十時を打った。
横手の扉が開き、佐藤裁判長を先頭に、木谷、木村、小勝、若松の各判士、杉原法務官、島田検察官らが入廷し、弁護人席には白髪の小柄な鵜沢聡明博士に、軍服に身をかためた満井佐吉中佐が着席していた。
被告相沢中佐は、法廷横の仮監房から警査四名に護られ、軍帽を右手に、丸腰の軍服姿で現れた。まる五ヶ月の幽囚ゆうしゅうで顔色は蒼みがかっていたが、眼光はするどく、しゃっきりした物腰で、所定の位置に直立不動の姿勢で立っていた。
裁判長は開廷を宣し、型の如く人定訊問に入った。
「姓名は?」
「相沢三郎であります」
ひどい仙台訛だが、力のある、はっきりした語調で答えた。
裁判長はつづいて生年月日、出生地、現住所、留守宅、所属部隊等をたずね、一ト通り訊問が終わると、島田検察官に公訴状を読み上げるのをうながした。
するとその時、特別弁護人の満井中佐が突然起ちあがって、
「裁判長!」と満場に響き渡る大声で発言を求めた。「本訴訟の進行に関し、特別弁護人として重大提言があります・・・・」
満場の視線は、一斉に満井中佐の太い口髭を生やした色白な顔にそそがれ、それから裁判長に移った。
「どうぞ発言して下さい」
裁判長は眼鏡を光らせ、おだやかに肯いて許した。
2022/01/20
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