~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第四章 このうえ何が起こるかわからない
第四章 (8-02)
満井中佐は緊張で自分の身体を硬直させ、われ鐘のような声ではじめた。
「第一、本被告事件の予審調査書公訴状は、はなはだ不明瞭であります。皇軍の本質にもとづいて、公人的行為と私的行為とを区別しなければならぬにもかかわらず、事件は公人の資格をもってやったか、私人の資格で行ったか、犯行の主体たる被告を審理してなく、不明瞭であります。第二、本件の行動に関する被告側の審理は出来ているが、その原因動機たる社会的事実、即ち軍の統帥が財閥、元老、重臣、官僚等によって攪乱かくらんせられたる事実については、何らの審理もしていない。第三、被害者たる永田中将の卒去の時刻が不明瞭であります。即ち当日陸軍省の公表によれば、午後四時卒去したとしてあるが、軍医の診察にもとづく島田検察官の報告は、数刻を出でずして卒去せりとある。この点に重大な疑義を有するもので、誤りは陸軍大臣にあるか、島田検察官にあるか・・・軍医は確実に診察したことであろうから、恐らく検察官が本当であろう。時の陸相、首相及び宮相が、永田中将卒去後にもかかわらず、偽って陛下を欺き奉って、なお存命している如く奏上し奉って、位階の奏請をなしたものと考える・・・・以上、この重大事件をめぐって、陸相、宮相の処置と島田検察官との間に重大なる食違いがあることは影響するところ大であるから、裁判長は十分に考慮せられたい。したがってこの間の真状を究明するまで、この公判は中止せられるのが至当であると考えます・・・!」
傍聴席では、二つのざわめきが起こった。
一つは「その通りだ、実にうまい所を突いた」という同調のそれと、他の一つは、「そら猿芝居がはじまった何とかかと因縁をつけて、公判を一日でも長くのばそうという作戦だ」というひんしゅくのそれであった。
人々の視線は裁判長にもどった。
佐藤裁判長は左右の判士とちょっと囁きを交わしたが、すぐ顔を真直ぐに立て、
「その必要はないと認めます・・・公判を続行します」
あっけないほどあっさりと宣して、改めて島田検察官をうながした。
検察官は起って、公訴状を読みあげた。
読み終わると、十時三十分一たん休憩、十時五十五分再開 ── 杉原法務官が裁判長に代わって被告を訊問した。
「さきほど、検察官の申し述べた公訴事実を認めるか」
「大体は認めますが・・・」相沢はちょっと考えてから、はっきりした口調で言った。「永田閣下に刃を向けたのは、その通りでありますが、根本にわたることについては腑に落ちない点があります。原因について、詳細をお取調べを願います」
それから位階学歴などについて問答が行われ、つづいて家庭、資産、健康などについて審理を進めた。
「趣味は?」
法務官の質問に対して、
「参禅、修養・・・!」
相沢は喚くように答えた。
つづいて訊問が信仰の点に入ろうとすると、
「一つ、お願いがあります」と相沢は突然言い出した。「永田閣下に刃を向けた原因動機について述べさせていただきた・・・」
「それは、あとでまた言うべき機会があるから・・・」
そう法務官に制せられると、相沢は断念して、訊問の信仰について父の教えを語り出した
2022/01/21
Next