~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (1-02)
杉原法務官は相沢が上京した際、大蔵大尉の家に泊まって、大岸、小川、末松らの青年将校や西田税と会い、「十一月事件」の真相を聞き、これを永田軍務局長の術策によるものと信ずるに至った経路を一々ただし、当時の怪文書 ──「粛軍に関する意見書」と「元老、重臣、軍閥、財閥の大逆不遜」の二通を示して、それらを見たことによって信念を強めたことを確かめた後、
「その他、どうもそうだ・・・・・・、と、信ずるに至った根拠はないか」とたずねた。
「あります。昨年一月二日、郷里の仙台からの帰りに、赤羽で電車に乗りかえた時に、二重廻しをきた辻大尉に会いました。その時辻大尉は、その前年、自分の隊の候補生を頼んだ時の辻大尉とは大変違って、私に対してソワソワしていました」
「それは、どういうことだ?」
「噂に依りますと、辻大尉は、『十一月事件』後の情勢を怖れて、つねにピストルを携えて歩いていたとさえ言われていました。それで私は、辻大尉が私に対して必要以上にソワソワしているところから、ああやっぱりそうだ。永田局長と共謀だな、と感じたのであります」
それから法務官は、昨年七月、相沢が永田局長に辞職勧告の為に上京した際、西田方で西田、大蔵らと会同して教育総監更迭事情や一般社会情勢を聞き、福山に帰って村中から怪文書を受取り、それらによって真崎教育総監更迭事情は主として永田局長の策動によるものと信ずるに至った顛末にふれ、
「何故、怪文書を信じたのか、村中が言うのだから、間違いないと思ったのか・・・その点はどうなのか」と追求した。
「そうではありません?」相沢は喚くような大声で言った。「予審の時も言ったが、字句で信じたのでは決してありません。いろいろなことから、そう考えたのです。細かい文字は信じません。その根本の精神に於いて信じたんであります!」
「それでは、どうしてその時、西田、大蔵以外の者に会わなかったのか。せっかく事情を確かめるために上京したのだから、何故もう少し他の方面で確かめなかったのか」
「その時の気分は、ちょうど軍人が戦場の刃の下で向かい合ったような鋭い気分で、今ここで考えるような暢気なものではありません。冷静であれば、他の人にも会ったでしょうが、その時はそう出来ませんでした」
訊問は、また相沢精神の不可知論の壁に突き当たった。
「では、要するに、その間の事情が永田局長の術策によるものと信じたのだね」
「ハイ、南、林閣下らが、元老、重臣、官僚、財閥等と共に背景になって、永田閣下にやらせた、と信じて居ました」
相沢の声の調子は、いくらか穏やかになった。
「その意見が、どういう根拠から出たかということを、いま少し考える余地はなかったか」
「私は、去って御奉公する、という気分で、他に考えはありませんでした」
それから審理は、八月十二日の永田局長殺害前後の事情に入って、正午の休憩、午後一時半から公判は再開された。
相沢中佐は、休憩中、何事か考えて来たらしく、午後の公判が開かれると、真先に発言を求めて言った。
「午前中、裁判長は杉原法務官をして、重大な事を訊ねられましたが、休憩中に考えてみると、腑に落ちないことが三つあります。その第一は、西田方で、『情勢に変わりなし』ということで決意したと聞かされたが、これは精神上のことを忘れている事。第二に大蔵についてたしかめて、これ以外に確かめなかったという点・・・法務官は、軍人の精神を知らん。武士に二言はなく、青年将校に二言はないのであります。第三には、国法を何と思うかとのお訊ねであったが、それは考えないことはない、さきほど述べた通りであります。教育勅語に『国憲を重んじ国法に遵い』とあります。自分はこの勅語を重んじ、従う者であります。法務官は、その点に立脚してお訊ねになったのでありますか。わたしが刑務所でお調べを受けた時、法務官は『お前のいうことは精神上のことが多く、それでは裁判にならぬ』と言われたが、心外であります。法務官は私に言うことを信じないのか。精神を忘れての裁判は意味のないことであります!」
「被告の言う精神とは何か」
杉原法務官が反問した。
「私は決行の前、伊勢大神宮、明治神宮を拝み『私の考えに誤りがなかったら、天誅を加えしめよ』と祈った・・・この気持であります!」
「武士に二言なしと言ったが、それは何か」
「真に真剣の精神で考えているのであります。だから青年将校に二言はない、誤りはないのであります」
「それは大事なことだし、誰にも間違いはあるものだから、いろいろ訊いたので・・・私に軍人精神がないなどと言うのは怪しからん、自分にも軍人精神はわかっている!」 
2022/01/23
Next