~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (1-03)
法務官が興奮を面にあらわして相沢の言葉をたしなめると、
「わかりました」
相沢は低くいなずいた。
「被告は、国法国憲の解釈に相違があるようだ、と言ったが、それは何か」
「前後のことを聞かず、国法のことだけを言われたので腑に落ちませんでした」
「それでは、被告は国法の大切なことは知っているが、今回の決行はそれよりも大切なことだと信じたのか」
「そいであります。大悟徹底の境地に達したのでありす!」
「決行後、台湾に赴任しようと思ったのは、まだ国法を考えていなかったのかね」
「何度も訊かれるが、ハッキリ説明します!」相沢は一段と声を張り上げた。「私は憲兵隊で二、三時間話をすれば、憲兵司令官には私の精神がわかってもらえて、『お前は謹んで台湾に赴任して居れ、追って処分を沙汰する』と言われるものと思っていました。これは軍部の幕僚のあたりが自分の精神を解し、懺悔していたならばそうなるものと思っていたのに、この期待が外れたので認識不足であったと思うのであります」
「被告は、そうなると思っていたのか」
「いい条件の場合は、そうであると思っていました」
「悪い場合は?」
「憲兵隊で殺されると思っていました」
「その認識不足は憲兵隊で知ったのか」
「憲兵曹長の調べで・・・知りました」
「被告の言う認識不足とは・・・」
法務官と相沢の間で、認識不足の点をなぐってなお二、三の押し問答が繰返された。
すると、白髪の鵜沢弁護人が小柄な身体をすくっと起こして、発言を求めた。
「認識不足は、重大な点であります。法務官のおたずねになる認識不足と、被告の言うそれとは、大分違うようであります」
鵜沢博士はそう言って上体を廻すと、腕をのばして窓の外を指差した。裁判官も傍聴人も一斉に指差された方向に視線を集めた。窓の外では、雪が降っていた。しかも吹雪めいた、かなり激しい降り方であった。
鵜沢博士 ── この貴族院議員で法曹界の長老である博士は、古代中国の法律哲学の研究家らしい口吻で、ゆっくりと言葉を続けた。
「昔から、西洋の哲学者が『雪は上では黒く、下に来て白くなる。同じ雪でこれだけ違うのは、どういう訳か』と解決しかねて居る。それと同じ事で、被告は決行した行為自体が認識不足と思ったのか、決行後目的の維新に達しないのが認識不足なのか、判然しない。被告は敬神家で、軍教育が全部であります。被告考えることは、今日の物質論では、とうてい解決出来ません。そこで相沢中佐の認識不足の内容がどの程度のものか、おたずね願いたいのであります」
裁判長は博士の発言を容れて、法務官にそれを問いたださせた。
すると相沢は語気を荒げて怒鳴るように言った。
「決行することに認識不足はありません。よいことだと思っています。決行後のことが認識不足であったのであります」
「それでは維新が来るという、それが出来なかった、と解釈するが、それでよいか」
鵜沢博士が念を押すと、
「そうであります」
相沢ははっきりと答えた。
「被告の考えている昭和維新の意義は、いかなるものであるか」
こんどは裁判長が直接訊問した。
相沢はちょっとの間瞑目して、自分の考えをまとめていたが、やがて顔をあげると、活発な調子で言った。
「大君は大神であります。天地創造の神の身替りであらせられる。人生の目的は、大神の大御心のままに宇宙に進化発展することであります。民は尊王絶対であります。大御心を拝察するに、億兆心を一つにせねば朕の罪であると申され、また四海同胞とも申されてあります。しかし四海にはまだ大御心が達してないのであります。現在の社会は資本主義、共産主義、無政府主義、無神論等がばっこして行き詰まって居ります。我々は大御心を体して、世界を幸福にすることを日本国民の目標とすべきであります。この第一歩として、封建制度が御維新になり、天皇御親政となって、ハッキリしたのであります。現在、ちょうど燎原りょうげんに火を放ったようなものであります。しかし満州その他へ燃えている間は盛んでありますが、火が消えれば何物もなくなってしまうのであります。。外国のことを言ったり、自由民権などというのは、みんな心が間違ったのです。明治天皇がなされた御親政を、ハッキリさせることが必要であります。また現在は権力を私する世の中で、天皇機関説を唱えて、政府に協力せよ、と命令した総理がある! また現在は、財力をむさぼる世の中であります。大阪では、鉄条網を敵に売った商人がある! 学校の教員は、俸給は国家からいただくのではなく、人民から集めた金を適当に配分するのだと言っている。わたくしの子供もそう教わっています・・・!」
相沢の論旨は、あっちへ飛びこっちへ飛びするが、不思議と一貫した信念の強い熱気が感じられ、それが聴く者の胸を打つのだった。
窓の外では、相沢の熱弁の呼応するかのように吹雪が暴れ狂っていた。
「・・・要するに、天の岩戸を覗く者は、私利私欲にもとづく権力財力を返上し、陛下の御親政を翼賛し奉ること・・・これが私の言う昭和維新であります」
相沢はそう結んで、長い陳述を終わった。
2022/01/24
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