~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (3-01)
火の気のない、六畳位の小部屋である。真中に白布をかけた長テーブルがあって、その上に花のない花瓶が一つ寒々と置かれてあった。
四人は、テーブルを挟んで、向かい合った。
すると村中が安藤に据えて、いきなり浴びせかけた。
「安藤、どうだ!?」
主語を抜いた言い方だが、それで直接行動を指していることは、言わず語らずの間にわかっている。主語を抜いているだけに、それは余計生々しく胸に跳ね返った。
安藤大尉はそれを一たん胸に受けとめて、それから押し返すように、
「時期尚早と思います」
安藤は、一期先輩の村中には、依然として先輩に礼を取っていた。
「なに、時期尚早? そんなことがあるもんか」村中は喰ってかかるような見幕で言った。
「一刻も早くやらなけりゃ、国際危機に対処出来ん。歩三がそんな始末だから困るんだ、歩一は士気が揚がっているぞ」
「歩一といえば栗原でしょう・・・栗原はいつでもガタガタしてるんです・・・今にはじまったことではないんだから」
安藤は落着いて受け答えした。
すると、それまで村中の横で黙って様子を見ていた磯部が、
「栗原ばかりじゃない、外の者も真剣なんだ」
突っかかるように話を横取りした。
「歩一がどうあろうと・・・」安藤は誰にともなく呟くように言った。「歩三には、歩三の態度がある、思うんだ」
「では、いつやればいいんだ。今をおいて、いついい機会があると言うんだ?」
村中がまた攻勢に出た。
「今の相沢公判を利用するなら、それも一つの機会でしょうが・・・しかし、やるやらぬはそれにこだわってはいかんと思うんです」
「こだわらないって・・・そんなら、どうすればいいんだ?」
磯部が横合いから、語気鋭く詰め寄った。
安藤はチラッと磯部をかえりみたが、それには直接答えないで、村中に向って、
「聞くところによると、侍従武官長の本庄大将も、女婿の山口さんには手を焼いているそうです。侍従武官長がその有様なら、陛下は何と思って居られるか・・・よくよく考えなければならんと思うんです」
歩一の山口大尉は、先頃の初年兵の入営の際に、附添いの父兄に向かって現岡田内閣弾劾だんがいの演説をして、物議をかもした男である。元来は技術将校だが、自分の発明した新兵器を実際に兵隊に使用させて実験する必要から、みずから志願して中隊長をしている変わり種だった。
「そりゃ、そうさ」と、村中は急いで安藤の話を引取って言った。「本庄大将とすれば責任があるから・・・しかしそれで陛下がそうだとは断定出来ん」
安藤はしかし村中の言葉には耳を藉さないで、自分の所信を披瀝した。
「我々が前衛として飛び出したとしても、現在の陸軍の情勢では、はたして随いて来るかどうか問題です。もし事が不成功に終わったら、我々は陛下の軍隊を犠牲にするので、竹橋事件以上の大問題です。私は村中さんや磯部君と違って、部下を持った軍隊の指揮官です。責任は非常に重いんです」
安藤の言葉は実際重々しくひびいた。今は軍服を脱いで市井の人となっている村中と磯部は一本釘を刺された形である。
2022/01/26
Next