~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (4-01)
翌日、新井は前夜の議論が頭にコビリついていて、一日中心がすっきりしなかった。原則論では、二人の先輩に対して堂々の論陣を張って一歩もヒケを取らなかったつもりだが、それでも何か解決されないおりのようなものが、心の底に残っていた。
─── 何だろう?
新井は首をひねった。だが、それが何であるかは、はじめは明確に分からなかった。それに大雪ではロクな教練も出来ないことが、一のも二にも初年兵教育を念頭に置いている彼の精神を余計いら立たせてもいたのだ。
しかし、前夜の会合でほぼ分かったことは、村中や磯部が歩一の栗原あたりを掴んで、何やら直接行動の計画を持っているらしいということだった。こちらも参加すると言えば、村中らはその具体的な計画を打ち明けただろうが、こちらが原則論を楯に応じなかったものだから、彼らは計画を出しそびれてしまった。計画も聞かずに頭から反対したことは、あるいは作戦を誤ったかも知れぬ。具体的な計画を聞いた上ならば、反対すべき点はもっとハッキリと理由をのべて反対し、都合によっては計画を中止させる手段も講じられる。
── 作戦を誤ったかな?
新井はそうも気付いて、首をひねった。
── 若し歩一が主体となって飛び出したらどうなるか?
新井は呼吸を止めて、眼を虚空こくうに据えた。彼の眼底には、栗原あたりが兵隊を引き連れて、先頭になって首相官邸や陸軍省などを襲撃する場面が浮かんだり、消えたりした。それから村中、磯部、渋川、そして前夜竜土軒に集まった現役将校連中や他のそちこちの連隊に居る青年将校の顔が、つぎつぎふ揃いに浮かんだ。それらの連中は、いわばみんな懐かしい人達である。早い遅いの差はあれ、共に革新思想を抱き、国事を憂えて来た仲間である。革新といい、維新といい、それを招来せしめる手段方法や時期については、それぞれ意見が異なっているにしても、起つ時は一緒に起とうという、黙契のようなものがお互いの胸にあったのである。そしてそれが実践部隊の青年将校としての、天保銭以上の誇りであり、自負であったのだ。
── その仲間が、何やら飛び出そうとしてる?
こんどは、いつもの「やろう、やろう」という、口先だけの計画ではなさそうな節がある。
三月になれば、師団を挙げて渡満しなければならぬので、その前に事を起そうという気構えが見える。
その気構えも、これまでにはずいぶん波の起き伏しがあった。「十一月事件」以後は、免官になった村中や磯部の間でしきりに計画されていたようだが、足並みも揃わず、情勢も熟していなかったので、気運はそのままくすぶっていた。そこへ相沢事件が起こった。すると気運は、その公判闘争を果敢に展開することによって、ある程度の国内革新を招来することが出来るかも知れない、という方向に変わった。だが、その方針は、先頃の師団長更迭によって挫折してしまったのである。第一師団軍法会議を掌握していた師団長の柳川中将が、相沢公判が開かれる直前に、突如として台湾軍司令官に転出になったのだ。
柳川平助中将は、対ソ作戦の第一人者として知られている。岡田内閣の初期には、林大将を扶けて陸軍次官まで勤めたのだが、それが格下げの第一師団長に親補されたのは、第一師団の渡満派遣が決まっていたので、北辺の護りを固めるためであった。その柳川中将が、既定の方針を変更して台湾に転出させられた事情のうらには、相沢公判が原因をなしていた。
柳川は、皇道派の将軍として、青年将校の信望を集めているし、青年将校らは相沢公判を利用して、統制派に対する一大反撃に出ようとしている。そこで柳川が第一師団長として軍法会議を指揮していたのでは、相沢公判がやりにくい、ばかりでなく、問題が紛糾して陸軍部内に混乱をまき起こす危険がある! それが柳川中将転出の裏面の事情であった。
それだけに柳川中将の転出は、皇道派青年将校に大きな失望を与えた。法廷闘争の出鼻を挫かれたようなものだった。
── これでもう相沢公判の帰趨きすうは決まった!
急進将校の間では、相沢公判に対する情熱が、急速にさめた。そして彼らは喪ったものに対する代償を求めて、失望を直ちに憤激へと、百八十度に回転させた。
2022/01/30
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