~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (4-02)
── もうこの上は、相沢中佐に続くよりほかに方法がない・・・相沢を見殺しにするな!
歩一の栗原や村中らが、この頃また急にガタガタし始めた原因は、どうやらそこにあるようだった。
── それにしても連中を飛び出させていいのか?
新井は振り出しに戻って、じっと思いを追った。今までは、歩三が同調しなければ、事は実現しないだろう、という安易な考え方があった。昨夜、原則論を持ち出して、理論的に村中や磯部に一矢報いたのは、その安易な考えが心の中にあったからだ。しかし歩三が同調しなくても、飛び出す危険性は十分ある! それは五・一五事件の例に徴しても明らかだ。あの時は海軍の連中がやって来て、陸軍の青年将校に参加方を慫慂しょうようしたが、陸軍側は「時期尚早」の自重論を持ち出して応じなかった。だが、五・一五事件は起きたのである。
── 連中を飛び出させておいて、オレたちは見送るだけでいいのか?
新井の脳裡には、「それでは裏切る気か」と逆襲して来た磯部の言葉が、苦々しく思い返された。
裏切り ── 実にイヤな言葉だが、連中からすれば、同調しない者はすべて裏切者である。だが、たとえ「裏切者の汚名を被せられようと、情勢に対する判断さえ誤らなければ、あくまで自重論で行くべきである。一体、情勢はどうなのか・・・果たして直接行動に訴えるべきであるか、どうなのか?
扉がコツコツ鳴った。
「おーい」
返事して、振向くと、安藤大尉が眼鏡を光らせて、五尺六寸の恰幅のいい躯を運んで来た。
「いやに考え込んでいるじゃないか」
安藤は椅子を引き寄せて腰をおろすなり、そう浴びせかけた。
「実は、昨夜のことを考えていたんです」
新井は率直に打ち明けた。彼は安藤に対しては、思想上のことばかりでなく、人格的に兄事していたので、何事でも気易く打ち明けることが出来るのだった。
「どう考えたのか」
通称「安ちゃん」という愛称をもう安藤はいくらか重々しく訊ねた。
「どうも、連中、やりそうな気がするんです」
「貴公、そう思うか・・・実は、オレもそんな気がしたんだ」
安藤は、肯き返し、それで? という風に新井をみつめた。
「それで・・・ですね」新井は自分の考えをまとめながら、言葉を継いだ。「連中が飛び出すとして・・・我々は、ただそれを見送っていいものか、どうか」
「貴公、どう思う?」
「わたしは、昨夜も述べたように、あくまでもやるべきじゃないと思います。しかし、私の情勢判断が誤りで、諸般の情勢は我々の直接行動を要求する、という確かな認定が立つものなら、わたしだって人後に落ちません・・・やります・・・けれども、村中さんや磯部さんのように、理論も何もなく、ただやるんだ、やればどうにかなる・・・だけじゃ、わたしは動きたくないんです・・・その点、安藤さんはどうなんですか」
「同感だ。オレも実はその点で迷ってるんだが・・・」
安藤は、そこで言葉を止めて考え込んだが、すぐ顔をあげて、
「「どうだろう・・・村中や磯部の話だけじゃ、情勢判断をあやまるかも知れんから、山下少将の今夜にも押しかけて。彼がどんな見解を持っているか、一つ叩いて見ようじゃないか。それからオレたちの態度を決めたって、遅くはあるまい・・・山下少将の連絡は、オレが取るから」
「それも一つの方法ですね」新井は肯いた。
山下奉文少将は、今は陸軍省の調査部長であるが、かつては永田鉄山のあとに歩三の連隊長を勤めたことがあり、革新的意見の持ち主であったので、歩三の青年将校からは親しみと信頼とを持たれていた。それに調査部長の要職にあるのだから情勢には詳しいだろうし、また現在の対内外の諸政策にも陸軍として抱負があるだろう、との期待もあった。
安藤の連絡で、山下は退庁後自宅で会うと言うので、歩三の若い将校十五、六名が将校集会所で早目の夕食をしまし、自動車に分乗して出かけた。中には革新思想の持ち主ではないが、同情的な立場にいる者も参加いていた。
2022/01/31
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