~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (5-02)
昨年の四月、靖国神社の臨時大祭が済んで間もなくのことであった。同期生の影山という事務局の主計から電話で、家へやって来ないか、という。しかし影山は、あまり酒をたしなまない男だった。
「オレはビールのない家はきらいだよ」
そう答えると。影山は、
「ビールなら、山ほどある」と言う。
そこで出掛けて行った。
すると、なるほど影山家の玄関の間にはビール箱が山と積まれてあった。
「おい、これは一体どうしたんだい?」
聞くと、靖国神社の祭典委員をしたので、その御供物を頂戴した、とのことだった。
「なるほどね」山口は笑いながら、冗談に託して言った。「われわれ部隊附将校は一晩中夜間演習をしても一本も貰えないのに、同じ陸軍に勤めていてちゃんと俸給を頂ながら、大祭委員をすると、ビールが山ほど貰えるのか。なるほど軍務局の主計はいいな・・・隊附をしていたおかげで、隊附将校のひがみ根性まで体験出来たぞ!」
だが半ば以上、それは本音でもあった。
座敷へ入ると、先客が一人いた。菅という顔見知りの男であった。菅は幼年学校を中途退学して東京帝大に学んだ後輩で、内務省警保局に勤めている。思いがけない場所での顔合わせであった。
「何だ、君も居たのか」
山口が言うと、菅は影山をかえりみてニヤニヤしながら、
「山口さんがお出でになると聞いたものですから、久し振りで御高説を伺おうと思って、仲間入りさせてもらいました」
そう弁解めかして言った。
だが、この二人の顔合わせ ── 一人は陸軍省軍務局の主計、一人は内務省警保局の役人という組み合わせが、山口にはどうも解せなかったし、しっくりしなかった。二人はいつから知り合ったのか、話しぶりや態度では、かなり親しい友人付合の要せでもあった。
ビールを飲みながら、二人は代わる交るがわる山口に時局憤慨談をもちかけた。だが、山口は心に解せないしこりがあったので、二人の誘い出しには乗らなかった。ビールの酔いに仮託かたくして、他の下らない雑談ばかりしていた。
すると、影山が頃合を見て、突然坐り直した。
「おい、山口・・・あまり酔わんうちに頼みたいことがある。是非聞いてくれ」
影山の顔は、真剣そのものであった。
「何だい、改まって?」
山口が酔ったふりをして斜かいに影山を見ると、影山は山口から眼をはなさないで言葉を続けた。
「日本ががな・・・現在この狭い島国の中に」閉じこもっていては、結局自滅の外ないことは、貴公の知っている通りだ。この際国内打って一丸となり、大いに積極的にやらなければならんと思うんだ。中央部でもいろいろ積極的な計画を立てているんだが、実は、例の西田一派がうるさくて手が打てないんだ。そこで貴公に折入って頼むんだが、あの連中に早くやらすように貴公からすすめてくれ。そしていよいよやるとなったら、実行の寸前に知らしてくれ・・・頼みというのはそれだ」
この言葉は、山口の心臓の動きを停めるほどの衝撃を与えた。なぜなら、日頃、山口や西田らが口にしている国家改造を直接行動にまで駆り立て、その実行寸前に一網打尽にしようという陰謀だからだ。
影山は陸軍中央の軍務局にあって、統制派のチャキチャキとして当時の軍務局長永田鉄山の腹心であった男で、軍務局員として部外の財閥、新官僚連中との連日連夜の宴会に出席していて、みずから宴会主計を呼称している。そして同席の菅は、その新官僚の一人である・・・山口は、ようやくそれに気付いたのだった。
── 統制派の陰謀が、オレの首根ッ子を掴もうとしている!
山口は呼吸をつめて、思いを噛みしめた。陰謀をハッキリ聞いてしまった以上、無事には帰れないかも知れない、との思いも胸にわだかまった。
── 酔ってやれ。もう酔っぱらってしまうより外に逃げ道はない!
山口は、そう咄嗟に覚悟を決めた。
「まあ、そう堅苦しい話はするな・・・そんなことよりもオレにもっとビールを飲ませろ。貴様オレを呼んどきやがって、ケチケチするな!」
腕を振り廻したり、喚いたりしているうちに、どうやら本当に酔ってしまった。
帰りがけに、山口は呂律の廻らない舌で言った。
「おい、影山・・・貴様は、さっき変てこな話をしとったが、おれは何も聞かんことにするぞ」
「よし、それじゃ、そうしよう」
影山も仕方なく同意した。
2022/02/03
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