~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (5-03)
翌日、山口は同期生の柴大尉に謀って、主だった青年将校を大久保の自宅に集めた。
山口は前日の模様を若い連中に打ち明けて言った。
「君等は、うっかりしていると謀略にかかる。彼らの手は、恐ろしく巧妙だ。やらせておいて、一網打尽にこちらを押さえる戦法に出るおそれが多分にある。だから決して、下手に手出しをしてはならん。くれぐれも気をつけろ!」
三月事件以来、軍の中央部に居る統制派の連中は、待合や料亭に入り浸り、さかんに金をバラ撒いている。一体、その金はどこから出ているのか。陸軍省か、それとも外部のどこからか出ているとすれば、どこから、何のために、そんな金が入って来るのか? 疑えば、思い出す節がある。
満州事変の前後、満州に入り込んだ日本の政治家や理研漁りのゴロツキ共が、張学良からさかんに賄賂を贈られた。張学良はどういう訳でか ── 恐らくは後で政治的恐喝きょうかつの材料に使うためだったろうが ── それれの日本人から礼状を取って、金庫にしまってあった。それを、当時関東軍作戦参謀長だった石原莞爾大佐が、金庫を開けさせて、見付け出したのである。
石原はカンカンに憤った。
「日本の政治家やゴロツキ共が、こんなことをしているから、中国人に嘗められるんだ。こんな奴らは引っくくって、満州から追っ払ってしまわなけりゃダメだ!」
石原は、その証拠物件を、当時の関東軍司令官本庄繁中将に提出した。
だが、その時本庄は、政治的な含みをもたせて、石原を抑えたのだった。
「それはあばくな。これを軍人が知っている、ということだけでいいじゃないか・・・使うな!」
それ以来、軍人の政治家嫌いと蔑視とが急速に高まり、政治そのものに対する軍人の発言権が強まって来たのである。つまり張学良が日本に対する恐喝材として蔵っておいた証拠物件が、皮肉にも日本の軍人が日本の政治家を恐喝する材料になったのだ。
だが張学良あたりの金品による日本謀略は、それで終止符が打たれたわけではなかった。
日本の有名無名の「中国通」と称するゴロツキ共は、満州以外の中国各地の都市に出入りしていた。三月事件、十月事件の首謀者である「桜会」のメンバーは、陸軍省の金も使っていただろうが、中国に何の用事でか、往ったり来りしている連中からも金が出ている、という噂があった。中でも藤田某という中国浪人など、疑えば、いくらでも疑う事が出来る。
藤田は、何をしているのか、一向に分からない。そして「いつどこにでも居る」男である。待合で、参謀本部や陸軍省の若手将校とダラダラ遊びをかしていたか、と思うと、翌日はもう上海に飛んでいる・・・阿片の密売でもしているのだろうか。それとも武器の蜜輸出? それともまた中国の日本謀略の手先きでもあろうか・・・万一、後者だとすれば、恐ろしいことだ。参謀本部や陸軍省の統制派の連中を抱き込んで、中国に戦争をしかけさせ、長期戦に引きずり込んで日本の戦力を消耗させ、やがて敗戦、赤色革命・・・筋書きは、すでに出来ているのではあるまいか。もしまたそうだとすれば、その謀略の背後には、張学良あたりを通じてソ連が糸を操っているのではあるまいか。
満州事変以来、日ソ関係は、一触即発の危機にある。それだけにその筋書きは、ソ連が満州国境の危険を回避して、日本軍部の進出路を中国に向けさせるためにも、恰好である。なぜならソ連は日中が戦争に入る事によって一石二鳥 ── 日華両国の共倒れと赤化とを、労せずして得ることが出来るからである。
万一、陸軍内部の統制派にのびている謀略がそのようなものだとするなら、一方また謀略の手は、皇道派青年将校の背後にものびているものと見なければならない。つまり皇道派の青年将校に直接行動を起させて、一網打尽にし、軍部を挙げて「戦争」へ突入させることが必要であるからだ。
── いずれにしても今 事件を起こしてはならぬ、奴らの眼に見えない謀略にひっかかるばかりだ・・・それに今は戦争をしてはならぬ。満州の護りを固めて、国防第一に専念すべきだ!
山口の到達した見解であった。
だが、その山口の見解も、もはや栗原らには通じなくなった。何度も聞かされて、もう聞き飽きた、といった塩梅あんばいである。
「山口さん、あんたの仕事は一体何ですか」栗原は若さを丸出しにして食ってかかった。「我々を留める以外に、何してるんですか。今に何とかする、何とかなる、と言うあなたの言葉は、もう聞き飽きました・・・山口さんには、もう何も出来やせんです」
「それでは、君達には成算があるのか」
開き直って聞くと、
「成算なんか、あったって、なくたって構やしません」と、捨て鉢なことを言う。「一体、山口さんは功利的すぎますよ。我々は、やるべきことは、死んでもやるんです! 関東軍は、蒙古の方へ、どうやら手を拡げるらしいし、戦争になれば、また貧乏百姓の息子達が大勢死ななきゃならんのです。・・・わたしは鉄砲玉に当たって死ぬのはイヤです! 山口さん、あなたは鉄砲玉の下をくぐったことがないでしょう。私は満州でくぐったんです。ピューン・・・と来る、あいつらは怖ろしいですよ。たとえそれ弾丸に当たっても、死刑ですからね・・・我々が直接行動に飛び出したって、まさか陸軍は我々を死刑にはせんでしょう。五・一五事件だって、犬養首相を殺して十五年ですからね。満州や蒙古で、それ弾丸に当たって死ぬよりは、まだましですよ・・・私は断然やりますよ。岡田内閣には、何一つ出来やせんです。国内の疲弊を匡救する手は何も講ぜず、このままズルズルと戦争に突入するのがおちじゃありませんか。機関説問題一つ解決できない内閣を生かしておいて、軍隊教育が出来ますか。我々は軍人ですよ!」
「まあ、そうまくし立てるな」
「まくし立てますよ」 栗原は自分でももう留め度がない、といった調子でまくし立てた。「我々第一師団は、来年の三月には北満へ派遣されるんです。防波堤の我々が東京をカラにしたら、侵略派の連中が何をしでかすか知れたもんじゃありません。内閣が今のように弱体じゃ、統制派の思う壺で、また戦争です。我々は、今 戦争しちゃダメだと言うんです。山口さんだって、いつもそう言ってるじゃありませんか」
「そりゃそうよ、だから・・・」
山口が言おうとするのを、
「だから、我々はやるんですよ!」と、栗畑は強くさえ切った。「もし山口さんが、我々にやめろと言うんなら、あの意気地なしの岡田内閣 ── 意気地なしがるが故に、ズルズル戦争に引っ張りこまれるよな岡田内閣を、つぶして見せて下さい。期間を切りますよ・・・今年中につぶして下さい!」
栗原の理論は、単純である。無為無策でズルズルと戦争に引き込まれる可能性のある岡田内閣を、先ず倒せと言うのである。このような危なげな内閣の下では、軍隊教育は出来ない、と言うのも一理屈であった。しかも倒閣が出来なければ、来春早々、大量の第二の相沢事件が起る可能性がある。
2022/02/06
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