~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第五章 岡田なんか、ぶった斬るんだ
第五章 (5-04)
そこで山口は、その年の暮から一月へかけて、二度、ひそかに倒閣運動を企てた。岡田内閣を倒せば、栗原らの軽挙妄動を押さえる事が出来ると思ったからである。一つは、政友会の久原房之助と結んでの「国体明徴」を利用しての討幕運動であったが、政友会の足並みが揃わず、失敗した。その後で「最後の手段」としてやったのが、初年兵の入営の際、付添いの父兄に向って試みた「内閣弾劾演説」であった。なるべく問題が表面化するようにと演説要旨をプリント刷りにして父兄に配布した。だがこれも一新聞が取りあげて問題視しただけで、あとは黙殺された。師団からも、陸軍省からも不問に附されてしまった。
後で、人伝に聞いたところによると、岡田首相はその新聞記事を読んで、
「── 若い者には、これくらいの元気がなくちゃダメだ。オレが若かったら、これくらいのことはやるよ」と、洩らしたという。
全く笑い話にもならぬ結末になった。
それから一月、二月 ── 栗原らが飛び出しそうな気配が、次第に濃厚になってきた。だが、その計画の具体案は、山口にはまだ少しも分かっていないのだ。栗原らは、ひたかくしに隠している。
山口は、気を鎮めるために、タバコを何本もふかした。
栗原は、その山口をみつめて、ぽつんと言った。
「我々がやり出したら、山口さん、手伝って下さる筈ですね」
「手伝うったって、君・・・」山口は煙の中で顔をしかめた。「計画も何も知らしてくれないんじゃ、手伝いようがないじゃないか」
「いいや、言いません」栗原は相変わらず用心深く首を振った。「言うと、山口さんは、何とか、かと言って、留めるに決まっていますから」
「いやに信用がないんだね」
「その限りでは、信用しないです」
「これはまた、淋しい限りだね」
山口は笑った。
山口の心事としては、実際淋しい限りだった。国事を憂えて、同じ革新思想を持つ同志でありながら、直接行動の企図は山口には一切隠されている。誰がそれに加わり、何をしようとしているのか、一切が不明である。上司に報告すれば、憲兵隊の手でこれを阻止することは出来るが、それでは十一月事件の二の舞を演ずるだけだ。そしてその結果は皇道派青年将校の大量検挙となり、農村の苦境は見棄てられ、予定の戦争へと駆り立てられるにすぎない。。
山口は、また新しいタバコを抜き取って火をつけた。
それを見ながら、栗原が言った。
「山口さん。この二十三日から日高大尉が週番司令になっているんですが、あなた、交代してくれませんか」
「なぜだい?」
山口が栗原を見つめると、栗原はじっとその眼を見返して、
「日高さんでは、工合いが悪いんです。あの人は我々に理解がありませんからね。我々のやることに無益のとめ立てをするに決まってます・・・そうすると、殺さなくっちゃあならんでしょう。僕だって、同じ将校団の先輩を血祭りにあげるのは、いい気持ちのものじゃありませんからね」
そうか、それほど計画が進んでいるのか ── と、山口は背筋を固くして、ちょっとの間考え込んだ。
── 日高が週番だと、死人が一人ふえるわけか!?
山口は咄嗟に決心をして、
「よし、日高大尉と相談して、オレが週番をやるようにしよう」
2022/02/06
Next