~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第六章 何事か起るなら何も言ってくれるな
第六章 (1-02)
鵜沢博士が相沢公判の弁護を引き受けたのは、相沢中佐の遺族と同期生からの、たっての懇請があったからだった。それと同時に、博士自身、軍法会議創設の生みの親として、その運用と初の弁護ということに並々ならぬ興味を持ったからだ。
博士は、貴族院に籍を置きながら、一介の弁護士として終始することに、宿命的なものを感じていたのだった。明治初年、彼が千葉県の片田舎の村童として寺小屋で四書五経を素読していた頃、彼の父親は数名の村人とともに無実の罪で千葉監獄につながれていた。公道、公地を横領したという疑いによるものであった。だが、それが無実の罪であることが立証され、重罪裁判所で「無罪」の判決を受けて出獄するまでには、数年の歳月を要したのだった。人間が人間を裁く裁判というものの不完全、不公平への疑いは、この骨肉の事件を通じて、少年の博士の心に焼き付いた。そしてそれが博士の、いわば生涯の進路を決定したのだった。博士は東京に出て法律を学び、弁護士となったのだる。それゆえ、彼は今日まで官途には一度もついたことがない。民間の学者として、また敬虔けいけんなクリスチャンとして、千駄ヶ谷の青いペンキ塗の家に住み、酒もタバコもたしなまず、日曜日毎に衣服を改めて教会に行くのを唯一の愉しみにしている人である。
鵜沢博士が相沢公判の弁護を引き受けてみて、先ず突き当たったことは、事件そのものは陸軍刑法の単純な上官暴行殺人罪であるが、その犯行の原因動機の複雑奇怪さであった。相沢の精神は、いわば神憑りであるにいても、私怨私情は少しも認められない。淡々として水の如きものである。しかしその精神の背後には何かがあって、それが糸を引いている。それはどういう糸で、どうしてそれが生じたか? 皇軍全体、何かがゆがんでいる。どこかが間違っている・・・それを明らかにしなければ、この裁判の公正は期し難いのだ。材料は山ほどある。だが、その材料を何処までも手繰って行くと、事件は皇軍の危殆きたい ── ひいては国家の危殆に逢着する! 博士は相沢公判の持つ重大さに思わず眼を見張り、しばしば立ち停まらざるを得なかった。
特別弁護人の満井中佐は、相沢の背後にある糸につながる軍人の立場から、ガンガンとがなり立てて相沢精神を賞揚し、永田中将一派の陰謀、政界、財界の腐敗堕落を追及して止まない。満井中佐の弁論には聴くべき事柄も多いが、しかしその執拗なやり方には、何やらためにするような政治的なものが感じられる。そのやり方には左翼張りの公判闘争であい、いわば皇軍相撃の姿である。反対派の勢力をくじいて軍の主導権を握り、その余勢を駆って一挙に国家革新にまで持って行こうとする気構えがあまりにも露骨に見える。
鵜沢博士は、満井少佐のそういう弁論の進め方には、直ちに同調出来なかった。彼はあくまで自分の本分を守って、純粋な法理論的立場に立ち、どこに被告の利益を見出すべきか、ただその点だけに注意力を集中した。したがって博士は、事前に満井少佐と弁護方針を打ち合わせるようなことはしなかった。むしろ避けた、と言った方が適当である。そしてただ公判の日に軍法会議の控室で、その日の弁論や法廷の駆け引きを事務的に打ち合わせていたのだった。
千駄ヶ谷の青いペンキ塗の鵜沢邸には、右翼浪人の亀川哲也が、公判のある日は必ず迎えに来ていた。いわゆる鞄持ちであった。
はじめ亀川は、政友会の有力者で実業家である久原房之助の紹介で鵜沢邸にやって来た。久原から金を貰って、政界や軍部の間を泳ぎ廻っている男らしく、こんどの相沢事件にも思想的感化を与えている西田税とじつ懇だということで、博士との初対面の際、のっけから「相沢中佐無罪論」を滔々と述べたてたのである。柳川や、真崎、林などの将軍の名がさかんに飛び出した。
博士は面食らい、あきれはてて、それから眉をひそめた。
「君・・・」博士はさえ切って言った。「まだ公判も開かれない先から、無罪が決まっているなら、公判は不必要だし、したがって僕のような弁護人も不必要でしょう」
一本釘をさされた形で、亀川は押し黙った。だが、その代わりに、亀川は職業的右翼人特有の執拗さで申し出た。
「公判中、僕を先生の鞄持ちにして下さい」
妙な奴だ、と博士は思った。だが懇意な久原の紹介でもあり、別に拒むほどの強い理由も見出せなかったので、そのまま亀川の勝手に任せておいた。すると、亀川は、公判日には必ず博士邸へやって来た。
時間が来て、博士が書類入りの鞄を持って薄暗い玄関に立つと、そこに亀川が佇んでいる。
亀川はお辞儀をし、だまって鞄をひったくるようにして、博士の後について出る。門の前に待っている自動車に博士が納まると、亀川も助手席に納まる。もう何年もそうしているように、亀川の動作と態度は落着きくさっていた。
途中、二人はほとんど口を利くこともなかったが、亀川が折々助手席から振向いて、意見を持ち出すのだった。
「先生、証人として、橋本中将をぜひ呼ばなけれななりませんな。橋本虎之助は事件当時の陸軍次官ですから、それから陸軍大臣だった林大将・・・真崎大将だって証人に立ちますよ、迷惑がってはいますが・・・」
亀川はそんな風に公判進行の手筈を一方的に、押しつける。
どうやら亀川は、満井中佐や西田税らと連絡を取って、始終それらの打ち合わせをしている様子で、彼らの間でまとまった意見を博士に注入するのが彼の役目らしかった。
だが、鵜沢博士はそれに対しては何の意見もさしはさまない。黙って、ただ聞き流すだけだった。
博士は自動車にゆられながら、静かに思うのだった。
── どうも何かがどこかで大きく間違っている。このままで行くと、何が起こるか分からない・・・興津の西園寺老公に意見具申して、対策を練って置いてもらわなくてはなるまい!
2022/02/09
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