~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第六章 何事か起るなら何も言ってくれるな
第六章 (2-02)
新井は、週番勤務の都合などで、竜土軒の会合には、村中や磯部と激論したあとは出席出来ないでいた。別に、避ける気持ではなかった。が、何となく気乗り薄になったことは事実であった。あの夜の磯部の噛みつきそうな顔を思い出すと、胸がムカついた。そのため、彼は会合の模様を、鈴木少尉から聞くだけで満足していたのである。
── 鈴木を呼んで聞いてみよう。
新井は不意にそう思いついた。
そこへ、ちょうど当番兵が顔を出したので、鈴木少尉を呼びにやった。
鈴木はすぐやって来た。
「鈴木・・・君は結婚問題が起こっていると聞いたが、本当か」
新井はいきなり浴びせかけた。
すると鈴木は子供っぽく顔を赤らめながら、それでも素直に、
「はい、そうです」と肯定した。
「相手の女性は、清原少尉の紹介だというが、それも本当か」
「そうです」
「どういう人かね?」
鈴木が答えをととのえるために、ちょっと上眼をつかって、
「父親は弁理士で、本人は二十一・・・都立の高女を出て、いま洋裁と活花を習っています」
「二十一というと、きみより一つ歳下だね」
「そうです」
「少し早過ぎはしないか」
「早い、とは思いますが・・・」
「やはり結婚したいのか」
「はい、結婚したいと思います」
「相手は承諾したのか」
「承諾しました。向こうの家庭にも行って、両親にも会いました。本人に聞いたところでは、両親も異存はない、とのことでした」
「明朗な家庭らしいね」
「明朗です」
「本人はどうかね」
「本人も至って明朗です」
「清原とは、それでは何のイザコザもないんだね」
「ありません。清原少尉とは、ただ汽車の中で知り合っただけですし・・・それに清原少尉はすぐ結婚することになっているんです」
鈴木の口調には、子供が他人の持っている物を見て、それと同じものを欲しがる時の様子に似たものがあった。
「鈴木・・・」新井は相手の輪郭の整った坊ちゃん然とした顔から眼をはなさないで言った。
「オレにも覚えがあるが、君も同期の清原が結婚するので君もしたくなったのだろうが、清原は兄さんが死んで跡継ぎになった家庭の事情もあって結婚させられるんだが、君は少し事情が違う。それをよく考えなければならん。とにかく君の歳で結婚は早過ぎる・・・我々は近く満州へ出征するんだ。果たして無事に凱旋出来るかどうかは、予断の限りではない。しかし、もし幸いに、オレも無事で帰れたら、その時は君の結婚に骨折ることにする。それまでは、君は待て。長いと言っても二年だ。その間は、君も軍人の本分にもとってはならんと同時に、今の決心は曲げてはならん。それまで待てないで、若し先方が心変わりしたら、そんな浮気な女は棄ててしまえ。二年や三年いないとて、それで心が変わるような女なら、軍人の女房になる資格はない・・・君たちの話が、真面目にそこまで進んでいるなら、出征前にオレが先方に会うから・・・会って、君の事情を先方によく納得してもらうことにしよう」
鈴木はうばだれ勝ちに聞いていたが、新井の言葉が終わると、顔をあげて、
「よろしくお願いします」
改まって、頭をさげた。
二人は話が解決点に達したので、一層親密感をおぼえ、寛いだ気分になった。
それから話題は、時局談から、竜土軒の会合にふれた。
「歩一の栗原中尉は、君らにどんなことを言ってるかね」
新井はさりげなくさぐりを入れた。
「あの人の言うことは、わたしは問題にしていません」
鈴木は事もなげにキッパリと答えた。
新井は物足らなかったが、一方ではまた安心感をおぼえた。
「あの人は、いついもガタガタしているんだ。決してあれに動かされてはながんよ。僕は、僕としての見解を持っているんだが・・・」
新井は、若い連中の軽挙妄動をいましめるために、千夜竜土軒での議論の顛末を、話そうとして、急にやめた。安藤大尉の口留めを思い出したからだった。
2022/02/09
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